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42,事件

ボクの部屋には訪問者が多かった。知り合いはもちろんのこと、まったく面識もない人がよく部屋を訪れた。いきなり部屋に入ってきて、「日本語を教えてほしい」と言ってくる若い女性。「俺は何でもやる。苦労を厭わないから是非日本へ連れて行ってくれ」と言ってくるむさ苦しい男性。「日本のカメラを買ったんだが説明書を中国語に訳してほしい」と言ってくる厚かましいおばさん。などなど・・・。

断ったり、少し相手をしてみたり、まったく知らない人でも適当に付き合っていた。うっとうしく思うこともたびたびあったが、そういった人たちは自分の希望を素直に伝えに来るだけで、断ってからといって怒ったりしないし、少なくとも悪い人たちではなかった。しかし、当たり前のことだがなかには悪者もいるようで、94年新年早々、とんでもない事件に巻き込まれた。

昼の2時半ごろ、その日の午後は授業がない。ボクは部屋でゆっくりと昼寝をしていた。そこへノックの音。寝ぼけ眼でドアを開けると、若い男が2人立っていた。「ウユン先生はいますか。」と丁寧に聞いてくる。「いや、ここにはいないけど・・・。」話が終わらないうちに、2人組はドッとボクの部屋になだれ込んだ。

「お前が日本人だということは知っているぞ。金を持っているだろう。早く出せ。」ボクは自分でも驚くほど冷静に「お前らこんなことして警察にばれたらどうなるか、知っているんだろうな。今、おとなしく帰ったら警察には言わないからさっさとうせろ。」と諭していた。最初はただ金を出せという程度だったが、ボクがいつまで経っても金を出す素振りを示さないので、2人組は徐々にイラついてきて、凶暴になっていった。

まずタバコの火をボクの顔の近くまで持ってきて、「これでもか」と脅してみせる。なんとしても金は渡したくなかったのでそれでも毅然と断っていたら、最後は一人に羽交い絞めにされ、もう一人に喉元にナイフを突きつけられた。

もう抵抗の余地はない。「机の一番目の引き出しに入っているから。」と言うと男たちは急いで、引き出しを開けた。そこには確かに金が入っていたのだが、中身は1元や5角や1角など、クシャクシャになった汚い札の束が無造作に置かれているのみだった。

ここオルドスで生活するうえで、大金は要らない。合計しても日本円で3000円ぐらいだったと思うが、ボリュームがあったのでそれでもうれしそうにポケットに入れていた。同じ引き出しにコンパクトカメラもあったのでそれも盗られた。机の上においてあった8ミリビデオカメラも持っていこうとしていたが、それは日本でしか使えないものだから置いていけ、と言ったら「あ、そうか」と素直においていった。

強盗たちはそそくさとボクの部屋を出て行った。怪我はなかった。しかし、帰り際男の一人が「俺たちはここの組織のものだ。警察にも通じている。もし警察に知らせたら、また来るからな。その時は命がないと思え。」と、捨て台詞を吐いた。襲われている時は割りと冷静だったが、犯人が去った後、急に怖くなって、腰が抜けて地べたに座り込んでしまった。

どれくらい時間がたったのか。ふと我に返って、どうすべきかいろいろ考えた。「とにかく、誰かに知らせなきゃ。」学校の事務所に行くと、こちらが何も言わないのに事務員が「どうしたんだ。」と聞いてくる。それくらいボクの顔は真っ青になっていたそうだ。

「実は、さっき強盗に襲われて・・・。」冷静に話そうとすればするほど、声が震えてくる。学校から警察に連絡を入れてもらい、すぐに刑事たちが駆けつけた。

ボクの部屋で指紋を取ったり、ボクに当時の状況を詳しく聞いたりした。最後は似顔絵師がやってきて、これも詳しく顔の特徴を聞いてくる。「目は一重か?髪型は?髭は?歯並びは?・・・。」辞書を片手に時間を掛けて説明した。

その晩、12時ごろ床に着いた。しかし、喉元に突きつけられた刃物の感触が消えない。白昼強盗という大胆不敵さ。「警察に言ったら殺す」と言った犯人の捨て台詞。いつまた襲ってくるかという恐怖心から、なかなか寝付けない。

隣では鼾が聞こえる。少し安心する。すると外でカサカサと音がする。「ん、犯人の足音か?」全神経を集中して、外の音を確かめる。どうやら枯葉が舞う音らしい。その夜は一睡もできなかった。ハンマーを握り締めて、夜を明かしていた。

翌朝、また、ドアをノックする音。「俺だよ。」クマさんの声だ。クマさんの部屋で朝食を食べた。「しばらくは怖いだろうが大丈夫。もし犯人が来たら、これでやっつけてやる。」どこで拾ってきたのか鉄パイプを振りかざす。これほど隣人を頼もしく思ったことはない。クマさんは当分、どこにも出かけないで、隣にいると約束してくれた。

日中は刑事たちがひっきりなしに訪れ、犯人の特徴、事件の経緯など聞かれた。夜は東勝の20~30歳の男千人以上の顔写真を見て過ごした。犯人に似た人はいないか。しかし、人の記憶とはあやふやなもので、千人もの人の写真を見せられると、単に人相が悪い人が犯人に思えてくる。結局、その写真ファイルでは誰が犯人か確証を持って言うことはできなかった。しばらく眠れない夜を過ごし、日中は取調べを受け、ボクはすっかり衰弱してしまった。

しかし捜査は着実に進んでいた。、事件発生後、ちょうど1週間目に犯人は逮捕された。金は申告通り200元がピン札で戻ってきた。小型カメラも無事だった。

大胆不敵だと思っていた犯人は実はたいした考えもなく犯行に及んでしまったようだ。ボクの記憶はあやふやで捜査にあまり協力できなかったが、校内での目撃者も結構いて犯人の身元はすぐ割れたとのこと。事件が解決したことはその日、オルドステレビのニュースでトップ項目として伝えられた。

この事件で、その学期最後の授業が延び延びになって1週間後にやっと行うことができた。生徒たちも心配だったらしく、ボクが教室に入った途端、涙ぐむ女子生徒もいた。男子生徒も何人かはずっと下を向いたまま声だけ出しているという状態。

ボクも一時自分でやっていることがわからなくなるほど、たどたどしい授業になってしまった。最後に今学期のまとめ、来学期のことそれから事件のことにも少し触れ、もう心配要らないから、といって授業を閉めた。終わりの挨拶のときは、今までで一番力強い「センセイさようなら」という声が返ってきた。

この事件でこれまでに経験したことのない恐怖を味わったが、反面先生や生徒たちそして公安の刑事など周りの人たちの暖かさを改めて感じることができた。

 

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