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44,「塩を売って緑を買う男」になるまでの道のり(その1)

オルドスを離れて1か月間、一人でゆっくり中国を旅行しながら、自分の進路について考えていた。やりたいことをシンプルに突き詰めていくと答えは一つしかなかった。オルドスの砂漠を緑に戻すこと。

1994年8月、無事日本に帰国。しかし帰国から2週間後、再びオルドスの地に立っていた。すっかり「砂漠緑化熱」にとりつかれていた。しかし、どこからなにを始めていいかわからない。とくかく一刻も早くオルドスでの砂漠緑化事業早く立ち上げなければ・・・。想いばかりが空回りする。隊員時代お世話になった砂漠緑化NGOや地元の林業局などいろんなところに行き、いろんな人に会った。また積極的に植林活動にも参加した。悪戦苦闘。そして得られた結論は・・・、「時期尚早」。

大学卒業後ボランティアしか経験したことのない若者。想いはあるが、経験もない、資金もない、コネもない、多くの人を巻き込むカリスマ性もない。何もない。自分の力のなさを思い知らされた1カ月。あえなく撤退。今の自分に足りないこと、それは実務経験、資金、そして人々を巻き込む力。いったん社会に出て働こう、経験を積もう。

ということで1995年から大阪のアミューズメント関連の会社に就職した。実は協力隊時代にこの会社の部長さんがオルドスに来ていた。チンギスハン関係の展示物を探しに来たとのこと。オルドスに日本人が来ることは珍しい。そして来たときはもれなく僕に情報が入った。日本人と話がしたい。美味しいものが食べたい。白酒でなくビールで。日本の情報がほしい。日本のカップラーメンが食べたい・・・。などの理由から日本人に会いに行っていた。でもその部長さんが来たのは僕がオルドスを去る2週間ほど前。もうすぐ日本に帰るから会わなくてもいいと思っていた。それに連日の飲み会で常時二日酔い状態。ちょっとでも休みたいところ。でもその情報を届けてくれた友人が「彼はいつもの日本人とは違う。中国語もペラペラだし、中国のことをよく知っている。絶対あっておいた方がいい。」というので、しぶしぶあってみると三国志に出てきそうな風貌で本当に立派な方だった。話に吸い込まれる。僕がオルドスでの武勇伝を語ると、「こんな僻地に日本人一人で3年間も住んでいるとは・・・。素晴らしい!ちょうど今中国要員を探していたところ。帰国したらぜひ連絡してほしい。」と名刺をいただいた。有難いお言葉だったが、その時にはオルドスの砂漠緑化のことで頭が一杯だったから、あまり気にかけてなかった。

オルドス緑化の挫折を経て数か月ぼーっと過ごしてきたが、そろそろ就職を考えなければという時にこの部長のことを思い出した。1994年12月。すぐ連絡。「すぐ来てほしい」とのことだったので会社のある大阪へ。面接を経て内定をいただいた。翌年の2月ごろからという話だったが、1月に阪神淡路大震災が起こった。その会社のあちこちの施設も被害に遭い、僕の入社どころじゃないということで、だいぶ待たされた。それでも7月に無事入社。

日本語教師しかやったことがなく、オルドスの砂漠緑化を夢見ていた青年がコテコテの商売の聖地、大阪に一人で飛び込んでいった。なかなか馴染めなかった。勢いが違う。話にオチがない、ボケられないというのは仕方ない。しかし電話の受け答えがなってない、営業トークができないなど、中途採用なのに社会人の基礎ができていない。これは致命的。「モンゴル帰りの純粋な青年」という異質な存在で見られていた。

海外事業部という部署に所属した。「部」だが僕のほかに僕を誘ってくださった部長だけ。その頼みの部長さんはほとんど上海事務所にいる。仕事は中国やアメリカからの資材の輸入。中国やアジアからアミューズメント視察で来日したお客さんをディズニーランドなどに案内するなど(*写真は当時中国のお客さんを連れてディズニーランドを視察した時のもの)。普段は一人で仕事していたので、マイペースで気楽に仕事ができた。

しかし暇なときは他の部署に駆り出される。仕事ができない、チームで動けないことが露呈してしまう。やっぱり組織には馴染めない。でも同僚はその異質な存在に気を使ってよく飲みに誘ってくれた。僕も本当は行きたくないが、なんとか馴染もうと積極的に参加。しかし酒の席でもぎこちない会話が続く。たまに酔っぱらって調子に乗ってはじける。モンゴル話に花が咲く。楽しいと思う。やっと馴染めたと思う。しかし翌日会社にいくとやっぱりぎこちない。馴染めない。その繰り返し。

同僚にとってはどう接していいかわからない存在。ぼくにとってはオルドス時代より異文化を体感していたのかもしれない。大学の時のように引きこもりたかったが、とにかく3年間は石にかじりついても頑張ろうと思った。ここで社会人としての「イロハ」を習得しなければ次につながらない。少しずつでも成長していつかはオルドスの砂漠緑化につなげたい。アミューズメントと砂漠緑化のコラボもできるんじゃないか。そう考えるようになっていた。そしてそれが会社を辞めない動機づけにもなっていた。

 3年目に行われた「社内提案コンテスト」。ここぞとばかり応募した。これが渾身の力作。これが採用されていたらこの会社に残っていたかもしれない。そしたら今とは全く別のやり方でオルドスの砂漠緑化にかかわっていただろう。しかし他の提案書はだいたい新しいマシンとかキャラクターとかの案ばかり。僕の案はやっぱり「モンゴル帰りの純粋な青年」の浮世離れした絵空事。箸にも棒にも引っかからず。

その半年後、入社して3年半後、僕は静かに会社を去った。手書きの提案書のコピーが古い段ボールの中から出てきた。僕にとっては今見ても輝いている。

【提案書】

提案の表題:新しい価値観の創造

「遊」の次に来るもの・・・これからの遊園地のあり方

内容説明;
1、 遊園地の現状と世の中の流れ:
ディズニーランド等の大規模テーマパークやインドアアミューズメントセンターの進出が進む中、従来型の遊園地は大型絶叫マシンの導入やイベント等で対抗してきました。しかし莫大な投資を必要とするため、地方の個性のない遊園地などは苦戦を強いられています。遊園地業界も淘汰の時代に入ったといえます。一方、企業や社会、教育の現場では今、環境、アジア、ボランティア等がキーワードとして脚光を浴びています。特に環境問題は21世紀最大の問題の一つとしてクローズアップされてきました。しかし現状では企業の取り組みは主体的なものというより、どちらかというと消費者の目を意識したポーズに過ぎず、民間のNGOの活動も活発にはなっているものの、それぞれの規模は小さく自己満足の世界にとどまっています。

こういった世の中の流れの中で、テーマ性に絞られない遊園地だからこそできることがあります。それは娯楽の場である遊園地に地域のコミュニティの場としての付加価値を加え、人々に自由な発想を活かす場所を提供することだと考えます。先ほどの3つのキーワードを踏まえた上でこれからの遊園地のあり方として一つの提案をしたいと思います。

 2、 内モンゴルの砂漠緑化事業:
青い空と黄色い砂が果てしなく広がる空間・・・。この国土の多くを山林に囲まれた日本人の中には、砂漠に対してある種の憧憬の念を抱いている人も多いのではないでしょうか。砂漠緑化は環境問題を考える上で一つの大きな柱であるとともに、荒涼とした地を緑の森に変えるという意味で大きなロマンを感じます。しかしサハラ砂漠やタクラマカン砂漠の緑化は今のところ不可能です。また鳥取砂丘のような所を緑化しても話題性に乏しいといえます。内モンゴル南部のモウス砂漠は4万平方キロメートルありますが、緑化は不可能ではありません。世界一の成功例になり得ます。しかも毎春、日本に降る黄砂はこの地から飛んでくるといわれており、あまり知られていませんが、日本人にとって一番身近な砂漠なのです。遊園地に足を運ぶことによって砂漠緑化に貢献するという付加価値を加えることにより来場者に全く新しい満足感を与えることができるのではないでしょうか。以下考えられる効果について述べたいと思います。

①学校間権者へのアピール
学校現場では今、開発教育(途上国の現状や問題点を学習する時間)が盛んにおこなわれています。生徒たちに身近な実習の場を提供することもできるし、遠足や修学旅行の見学コースを考える場合、大義名分があるという意味で有利になります。

②高齢者の集客
退職して年を取っていくと人間は人一倍何かの役に立ちたいと思うようになるといわれています。砂漠緑化を結び付けることでお年寄りに遊園地に足を運ぶきっかけを与えることができます。

③地域への貢献度
現代の社会ではボランティアやサークル、学習会等の様々なネットワークが存在しています。彼らへアピールすることができれば、集客だけでなく宣伝効果も高まります。こういった「遊」の枠に捉われない遊園地が一つぐらいあってもいいのではないでしょうか。

3、実施例:
まず入場料を100円高く設定し、その分を砂漠緑化に当てます。この場合一人、苗木1本分とすると来場者により実感していただけると思います(苗木1本分の費用は要確認)。同時に現地(内モンゴル)で地方政府と協議を行い、日本側は資金を中国側は労働力、土地、手続上のあらゆる便宜を提供するという形をとります。植林の専門家については日本のボランティアおよび現地の技術者を当てます。遊園地には常設の緑化センターを設け、現地での緑化事業の進捗状況をパネル展示やビデオ上映等の方法で来場者に知らせます。事業開始のイベントとして内モンゴル歌舞団の公演や現地紹介等幅広く宣伝活動を行います。

事業が軌道に乗った段階で子供たちや学生の相互ホームステイ、実費による植林ツアーの実施等事業の定着を図ります。

ちなみに年間入場者数100万人の遊園地でこの事業を行った場合、100万本の植林を行ったとして約600ha(約180万坪)の砂漠を森に変えることが可能となります(間隔2×3m、100%定着として)。何年も継続することにより緑化面積は果てしなく広がります。

 4、まとめ
遊びの楽園である遊園地を堅苦しい環境問題(砂漠化)と結び付けるのは少し無理があるかもしれません。しかし目まぐるしく変化する現代社会の中で、近い将来「何かの役に立つこと」が新しい余暇の過ごし方として、一つのレジャーとして考えられる日が来ないとも限りません。そしてその時

全く新しいビジネスが生まれてくると思うのです。

【提案書終わり】

 

よろしければサポートをお願いします。内モンゴル・オルドスの砂漠緑化や佐賀県小城市の里山再生に投入します!