22,託児所での授業
モンゴル族中学の一角に託児所があった。教職員の1歳から6歳までの子供20人くらいが通っていた。そこの園長先生に、「週に1回5、6歳の子供を対象に日本語を教えてほしい」と頼まれ、とりあえず一度行ってみることにした。
校舎とグラウンドを挟んで西側、教職員住宅の並びの一角にその託児所はある。レンガ造りのフラットで外門をくぐると中庭があって、ちょうどそこで体操や行進の練習をやっていた。部屋は3つあって、それぞれ2歳まで、3,4歳、5,6歳の部屋に分かれていた。
ボクは5,6歳の部屋に入った。10人くらいの子供たちが小さな椅子に座って待っている。「老(ラオ)~師(シー)~好(ハオ)」とめちゃくちゃ間延びした挨拶を受けた。さっそく日本語に取り掛かる。まず、「こんにちは」「さようなら」などの簡単な挨拶言葉。みんな手を後ろに組んで不自然なほど姿勢よく授業を受けている。後ろには園長先生が目を光らせている。姿勢を崩したり、騒ぎ出すと容赦なく叱られる。時には体罰もあるらしい。みんな大きな声でひたすら日本語を繰り返す。何だか強制的に日本語を勉強させている気になった。果たしてこれでいいのだろうか。授業は15分ほどで終わった。
あとは子供たちの遊戯の様子を見ながら、園長先生と雑談。「この時期の子供はしつけが一番。ちょっと目を離すとすぐ勝手なことをし出すのよ。これからも安心して日本語を教えてちょうだいね。ちゃんと見張っているから・・・。」
複雑な気持ちで託児所を後にした。
その後、毎週水曜日の午前中は託児所に通った。挨拶言葉のほか、部屋に飾ってあった絵にある動物などの名前、数字などを教えていった。あと「春が来た」や「幸せなら手をたたこう」などの歌も教えた。園長先生の監視は厳しいものの、子供たちはとても喜んで学んでくれているようだし、なんといっても子供はかわいい。ボクにとっても週に1回、楽しいひと時になっていた。そこで、なぜか毛沢東の誕生日も一緒に祝った。
ある日、託児所での授業を終えてグランドを歩いていると、託児所の子供たち5、6人がワーッと叫びながらボクのほうへ走ってきた。そのうち一人の子が日本語で「わたしはくさいです」と言った。一瞬耳を疑った。「くさい?・・・」そんな言葉、教えたことがない。誰に教わったんだろう。そのうちほかの子供もボクを囲んでニコニコ笑いながら「わたしはくさいです」「わたしはくさいです」を連発。確かに乳臭かったが・・・。
「くさくない、くさくない」と言いながらその場を後にした。ボクの生徒が悪ふざけで教えたのだろう、そのくらいに思ってあまり気にしなかった。
しかし、後になって子供たちがなぜ「くさい」と言ったのか理解できた。モンゴル語は言葉のはじめにラ行が来ない。だから外来語でもたとえば「ラジオ」は「アラジオ」、「ロシア」は「オロス」というふうにラ行が語頭に来ないようになっている。あの時、子供たちがグランドで何を言いたかったのか。考えてみる。そういえば、そのとき歳の言い方を教えていたのだ。そう、彼らは「私は6歳です」と言いたかったのだ。「ろくさい」の「ろ」は語頭にきたので、本能的に省略してしまったのだろう。
そういえば、日本語も固有の言語である大和言葉はラ行が語頭に来ることはない。ひょんなことから、日本とモンゴルはつながっていたんだと実感した一幕であった。
託児所の授業は楽しかったが、何を教えてもただの鸚鵡返し。子供たちもボクも飽きてしまって、そのうち自然消滅してしまった。
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