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37,文通大作戦その後

最初に文通を始めた9人の生徒に届く日本からの手紙の影響は絶大で、その後も多くの生徒が文通を希望した。ボクもあらゆる機会と捉えて、文通の機会を作った。もちろん交流会の後、早大生との文通も始まった。

しかし順調に続いたものもあるが、途絶えたものもある。なぜ途絶えてしまったのか。いろいろ原因はあると思うが、モンゴル族の生徒にとっては日本語で手紙を1枚書くにも、大変な労力を費やす。それに文通とは回を重ねるごとに内容がより深く、細かくなっていくものだが、彼らのその時の日本語のレベルでは、まだそこまで表現できない。このことは、日本の文通相手にとっても、最初は物珍しさで始めた文通が、だんだん物足りなくさせている原因かもしれない。

ある日、日本の女子高生と文通をしていた53組の「リーダー」がボクの部屋にやってきて、文通している女の子の写真がほしい、と言う。それだったらまず自分の写真を送ってから頼んでみたら、とアドバイスしたら「じゃ、写真を撮ってきます。」と張り切って出て行った。

しばらくして得意げに、できたばかりの写真を持ってきた。なんと写真館まで行って撮ってきていた。彼は53組の学級委員長も務めるほどの好少年だったが、写真の中身はというと・・・。日に焼けた浅黒い顔に白粉を塗りたくって、髪には金の粉がふりかかっている。それでいて鼻の下にはうっすらと髭をたくわえている。輪郭にボカシが入っていて、目は遠くを見つめている。どう見ても気合の入れすぎ。気合を入れすぎてオカマの見本みたいな写真になっていた。「これは送らないほうがいい。」と思ったが、彼の自信あふれる顔と、この写真に費やした手間、暇、金を考えると、どうしても言い出せなかった。「リーダー」はすぐ手紙にその写真を添えて日本に送った。果たして返事はいつまでたっても来なかった。

普段は文通相手から返事が来なくても、こっちはいちいちタッチしなかったのだが、このケースはあまりにもかわいそうだったので、こっそり相手の女子校生に根回しの手紙を出した。「ここオルドスでは写真を撮ることがめったにない。いったん撮ると決めたらトコトンこだわる。彼の写真のそのこだわりの表れ。これも異文化理解の一環と思って、これからも文通を楽しんでほしい。」と力説し、やっと返事が「リーダー」のもとに届いた。ボクほうにも手紙が来た。やはりあの写真が怖くて返事が書けなかったそうだ。

だいたい異性の子と文通したがる生徒が多かったので、男なのに「~なのよ」と言葉が女っぽくなってしまうことがあった。

このように文通作戦はなかなか思い通りにいかなかった。しかしたとえ短い間でも、日本の友だちと日本語で手紙のやり取りができたという経験は、彼らにとって貴重なものだろうし、実際彼らは日本から来た手紙を宝物のように大切にしていた。

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