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769日目 咬福論

2023年 12月 12日 (火)

●咬福論、聴きました。

すごい曲だ。
まずサムネイルにも据えられている謎ポーズ口あんぐり栞子ちゃんの貴重さと可愛さには言及しておかなければいけないが、それが軽いフックでしかないからこの曲及びリリックビデオは凄い。

曲序盤の雰囲気はああ栞子ちゃんだなぁという感じがよく表れていると思う。仮にお付き合いをすることになったとしても、私は私でありたいしあなたはあなたであって欲しいと言う栞子ちゃんには実にらしさを感じられて良い。

私のラブソング編で言っていたこととしては、姉やランジュのおかげ(せい?)で他人をコントロールすることなどできないことはよくわかっている、とのこと。
栞子ちゃんの受難を度々目にしてきた身としては言葉の説得力が強すぎて笑ってしまったのだが、だからこそこの曲の歌詞全体に表れている、自分たちの関係性に名前をつけてしまうことで、そのイメージに捉われ過ぎてしまうことがないように、あくまでお互いが一人の人間同士として関わっていきたい、という栞子ちゃんの想いにはとても納得がいくのだ。

また、我が強い幼馴染及び姉に振り回されることは、彼女にとってマイナスなイメージばかりであったとも思えない。
そもそもが、学園の生徒全員に対して間違った道を歩んで欲しくない、幸せになって欲しいとまで言ってのけ、その言葉通り生徒会長の座にまで上り詰めてしまった彼女だ。誰かのため、人のためになにか行動を起こすことは彼女にとって当たり前というか、そうすべきと信じて疑わないのが栞子ちゃんだと思う。
そんな彼女に、ランジュちゃんや薫子さんの存在はどう映っているだろうか。自信の感情や望みを隠すことなく表に出してくれて、そこに自分を巻き込んでくれる二人に悪感情ばかり抱いていた彼女ではないと思うのだ。
栞子ちゃんが、人のためになることをしたいという願望が強めな子であるからこそ、ランジュちゃん薫子さんの存在は彼女にとって心地のいいものでもあったはずであり、それがこのあなたらしくでいて欲しいの、という歌詞に繋がっていったのではないかと思う。

ただ、人のために何かをしてあげると言うのは自分の我を抑えて相手の希望を叶えることに繋がり、これは栞子ちゃんの言うありのままでいたいの、という部分に抵触してしまう気がしてくる。
のだが、栞子ちゃんの凄いのはあまりに人のために行動をすることが彼女の中で自然なことであり過ぎるが故に、人への施しがただの献身で終わらず彼女のパーソナリティの一つにまで昇華されていることなのだ。
いつも私を巻き込んで世界を広げてくれるあなた、そんなあなたにしてあげたいことをたくさん抱えている私。関係性が変化したとしても、あなたはあなたのままで、私は私のままでいて欲しい。それが私の願いだと栞子ちゃんは何度も言っている。
だからこそ、この曲で歌われている、恋人という言葉で私たちの関係性が変化してしまうのが嫌だ、という彼女の主張は、決して遠慮だったり距離感を図るような意図だけが込められているわけではなく、純粋な好意の表れでもあるのではないかと思った。

ちゃんと主張をしてくれて、こちらを上にも下にも置くことなく対等な一人の人間として関わってくれる、そんなあなたを、私が好きになったあなたを、私の存在で歪めてしまいたくない。
同時に、あなたが好きになってくれた私が、あなたによって変化することで、あなたが好きだった私が失われてしまうのではないか。そんな恐怖感もまた感じられるのだが、それがここからの怒涛のサビに繋がっていく。

この曲の栞子ちゃんはどこか不安げだ。
多くを求めることはせず、互いの変化に強く拒否感を示し、同じ気持ちを感じているよね?と確かめてみたり、運命の赤い糸よりも目に見える信じられるものが欲しいと言ってみたり、終始相手との関係の脆さを憂いている様子が見て取れる。
能力の高さから過去に人間関係で困ったこともちらほらあっただろうし、それに加えて現実主義な部分もある彼女が、目に見ることのできない好意というたった一つの私とあなたを結ぶ繋がりに不安を感じてしまう気持ちはとても理解ができる。

では、そんな不安げな栞子ちゃんが目に見える信じられるものとして”あなた”の首筋につけた噛み痕を、二人だけの秘密として大切にしていこうねと言うのがこの曲なのだろうか。
自分は、それは正しくもあり正しくないと思っている。
もちろん歌詞をそのまま読み取ればその通りではあるのだ。

私があなたの体に噛み痕を残して、そんな傷を庇うあなたは首筋を抑えて笑って、その傷を誰に言いふらすこともなく、二人だけの秘密として互いに大事にしていきましょう
二人だけの時間ではないときでも、その傷が目に入るだけで、私はあなたとのつながりを目に見えて実感できるんです。
運命の赤い糸なんて不確かなものよりも、そんな繋がりの方が私を安心させてくれるんです。

そんなことを言っている栞子ちゃんの姿を想像するだけでドキドキしてくるが、では本当にそれだけなのか?と疑問が湧いてきた。
注目したのは、運命の赤い糸より目に見える信じれるもの、というところ。目に見える信じれるもの、ということは栞子ちゃんが残した噛み痕は誰の目にも明らかであるはずなのだ。
加えて、運命の赤い糸との対比から、目に見える信じれるもの、にも赤のイメージが充てられている気がするのだが、傷と赤色という二要素から血を思い浮かべてしまって、そこまでの傷を二人だけの秘密とするのには無理があるのではないか?と思ってしまった。

もちろん絆創膏か何かで傷を隠すことはいくらでもできるし、隠さなくたって虫に刺されたとでも言えば誤魔化せるんだろうが、二人を繋ぎとめる要素としての役割を与えられた傷を、上から何かで覆って隠したり別のものだと偽るようなことをして、それは果たして幸せだろうか。
自分は否であると思う。栞子ちゃんが目に見える信じれるものとしているものは、噛み痕による傷だけではないと思う。

ではなんなのか。

人とお付き合いをするとはどういうことなのか、それを考えた時に栞子ちゃんが出した答えは、相手を傷つける覚悟をすること、だったのではないかと思う。
サビ前からサビにかけて語られていることが栞子ちゃんにとってどういう位置づけの行為なのか、これは明らかだろう。
我が儘言うつもりないわ、重荷になるつもりはないわ、それでも一つだけ許されるのなら私はこうしたい、こうして欲しい。それがここで語られている栞子ちゃんの想いである。
つまりそこで語られていること、行為は、我が儘であり相手にとって重荷になり得るものであり許容されなければいけないもの、良くないもの、悪いことであるのがわかる。

ところでこの曲に出てくるキズナ、という言葉には、痕、という漢字が充てられている。キズナという言葉はポジティブなイメージで使われがちだが、もともとは動物が逃げないよう繋ぎとめるための綱を指す言葉だったらしく、そこには呪縛だったり束縛といった意味が込められることもあると言う。
キズナを残すことは、あなたを私に縛り付ける目印を残すことに繋がり、これは縛ってたくもないのと歌っていた栞子ちゃんから出た言葉と考えると矛盾が生じてしまうのだ。

しかしそれこそが、栞子ちゃんの言う悪いことなのではないかと思う。キズナを残すことは悪いこと、あなたを私に縛り付けようとすることは私の我が儘でありあなたにとっては重荷になってしまうこと。それでも、どうかそれを許してほしい、許容して欲しい。
キズナを残すと言うのは外傷の話だけではないだろう。痕が残るほどの外傷を二人だけの秘密とすることは難しいが、心に残した傷は、痕は、体に残るそれよりも遥かに効力が長く、そして目に見えづらいものだ。
私の強すぎる想いが相手の心を傷つけてしまうことで、相手の心に傷を、痕を残してしまうかもしれない。
それでも、そんな私を許してほしい。そんな私が外にも中にも残してしまった痕を、キズナをなぞって、そして笑って欲しい。

そう、曲中には私に笑顔を向けてくれるあなたの姿が何度も描写されている。笑顔で首筋を抑えるあなた、私が送った視線を見つめ返して「内緒だ」って笑うあなた、他愛もない日々でニコっと笑うあなた。あなたはよく笑う人だ。
私があなたを身体的に、精神的に傷つけてしまったとしても、あなたは笑ってくれる、許容してくれる。そんなあなたの笑顔が、私を許容してくれるその証こそが、目に見える信じれるものなのではないか、それが私の、栞子ちゃんの幸せなのではないかと、そう思った。

二人だけの秘密とは、互いが互いにしか見せることのない顔、及びそこから発生した心理的な傷のことだろう。
あなたを傷つけてしまう私の姿は、周りには隠さなければいけない悪いものである。そんな私の悪さをいつも笑って許容してしまうあなたの姿もまた、公にするものではない悪いものである。そんな互いの悪さに心地よさを覚えてしまう私の弱さを、そこから生まれてしまった傷を、痕を、肌身離さず持っていて、消えないように見張っていて、誰にも言わずに二人だけで共有していたい。ダメな自分たちを他の誰にも見せることなく二人だけの内緒ごととして、誰も知らない”日々”をしたい、「大好き」をしたい。

なんだかとてもすごいことを言っているように聞こえるが、想いを寄せている相手にしか見せないペルソナを二人だけの秘密として共有しようねと言うのは割とストレートに恋愛の楽しさを語っているようにも思える。その意味で恋愛経験のない子が作ったラブソングとしての完成度の高さもまた大いに感じられるのだ。だからこそ良い。


ラストの、言葉にしたいの 幸せです、のところ。
ここはその前に歌われていた、私の気持ちが独りよがりでないことを証明するための言葉なんだろう。
笑顔と言う目に見える安心の証を与えてくれるあなたに、私が証明としてお返しするのは、あなたが与えてくれる幸せを噛みしめる私の言葉なのだ。

客席で楽しそうな顔を見せるファンに、言葉として、歌詞として、歌として、ステージ上から返事をしてくれるアイドル。
6thライブのテーマは愛の交換会、だったか。
実にテーマに沿った、6thライブに相応しい一曲だと思う。

イントロから爽やかさが溢れ出ていて、曲中では歌詞のそこはかとない不穏さにドキドキさせられて、最後の最後にはアイドルとしての顔を見せてくれる。
二度もこちらを裏切ってくれて、大いにドキドキさせてくれた彼女がこちらに向けてくるのは、虎のようなかぎづめのポーズに口をあんぐり開けた無邪気な表情なのだ。
スクールアイドルとして真面目過ぎることを悩んでいた栞子ちゃんはどこへ行ってしまったんだい。
まあそんな栞子ちゃんに翻弄されるのはとても楽しいので、自分は今日も彼女を笑って許容するのだ。

それが栞子ちゃんにとっての、咬福論なのだから。






しかし「大好き」をしようと言うのは改めてすごい歌詞だ。何をするんだろうか。徹夜で人生ゲームだろうか。
多分そうだろうな。


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