愛するに足りぬ人生などない

私がこの間実家に帰った時、ちょうど近所のAさんと長男とに出会った。
Aさんの長男は私の母に「おばさん。こんにちは。」と言い、
少し振り返ってAさんに「おとうさん。」と笑った。
Aさんの長男は58歳、知能に障害がある。

小さい子どもの頃からAさんの長男は、施設で過ごすことが多く、時々Aさん宅に帰って来ていた。
私の母が、差別をしない人なので、Aさんの長男は私の母を慕っていた。
私の事は、「おばさんの赤ちゃん」。
そんな母の影響で、私も障害者に偏見はない、なんてうまくはいかないのだ。

私はAさんの長男が怖かった。
大きいのに、何を言っているのかわからない。
興奮すると、うーうー言う。
母は「喜んでいるのよ」というけれど、私は怖かった。
それが、私が小学一年生の頃である。

しかし、長い年月の間、Aさんの長男は、主に施設で過ごし、月に一度ほど実家に帰省する、そうして成長し、年老いていった。
成長期の興奮はなくなり、短い言葉で挨拶する。
私も、いつの頃からか、色々な障害のある人がいることを理解して、怖いという気持ちがなくなっていった。

Aさんは、今では一人暮らしだ。長男が帰省する期間を除いて。
帰ってくると、Aさんと長男は散歩する。
長男は「おとうさん」と言って、笑う。
やさしい笑顔。
Aさんも彼に微笑む。

相模原のあの事件。誰に、障害を以って人を裁く権利があるのだろう。

愛を裁くことは、誰にもできない。

(相模原障害者殺傷1年)

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