八木重吉の詩と谷川俊太郎の詩について考察しない
八木重吉の詩にある。
草に すわる
八木重吉
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる
谷川俊太郎の詩にある。
間違い
谷川俊太郎
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる
そう八木重吉は書いた(その息遣いが聞こえる)
そんなにも深く自分の間違いが
腑に落ちたことが私にあったか
草に座れないから
まわりはコンクリートしかないから
私は自分の間違いを知ることができない
たったひとつでも間違いに気づいたら
すべてがいちどきに瓦解しかねない
椅子に座って私はぼんやりそう思う
私の間違いじゃないあなたの間違いだ
あなたの間違いじゃない彼等の間違いだ
みんなが間違っていれば誰も気づかない
草に座れぬまま私は死ぬのだ
間違ったまま私は死ぬのだ
間違いを探しあぐねて
自分の間違いに気づいたとき
ため息とともに野原を思い出すのは
八木重吉がそこに座ったから
間違いに気づいてもどうしようもないとき
椅子を見て胸が痛むのは
谷川俊太郎が椅子に座ったから
そのまま死ぬわけにいかない
私が間違えたから
この子も苦しむのだ
私に明日がなくてもいいから
未来をください
この子らに
「忘れようとしても思い出せない」
と言ったのは
赤塚不二夫
私は座れない
間違いを忘れられずに
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