犬の話、2
17年飼っていた犬が死んだとき、
母は泣いて泣いて
「もう犬は飼わない!生き物は飼わない!
死んだときつらいから!」
と、宣言した。
その後半年の間に、私は一人暮らしを始めていたんだが、
母から「犬を飼う」と連絡がきて驚いた。
どうしたの?
母「マキ叔母さん(母の弟の妻)が、車でうちに来てね、
『お義姉さん、ちょっと来て、見るだけでいいから!』
って、
車に乗せられてね…」
マキ叔母さんは、世話好きな人だった。
とあるマンションの前に、
荷づくり紐でつながれているビーグル犬がいたのを、
ある家の子供が発見して自分の家に連れて帰ったのだけれど、
どうも、マンションから引っ越した家族が捨てて行ったらしい。
その子の家は、すでに二匹犬がいて、飼えない。
そこで、人望厚く顔が広いマキさんの所に連れてきた。
マキさんの家も犬が二匹で飼えないのは知っているけれど、
飼える人の心当たりない?
即座にうちの母を思い出すマキ叔母さん。
捨て犬を17年飼い、その犬が死んだ。
マキさんは行動の人だった。
車で母を拉致。
母「マキ叔母さんがね、犬を見せて言うの。
『この犬、保健所に連れて行ったら一週間で殺されてしまうのね…』
連れて帰るしかないじゃない!」
私が実家に行くのは週末だし、妹は研修で留守。
母は名前を仮に、名無しの権兵衛で「ゴン太」と呼んでいた。
ゴン太、いいじゃない。
と、成行きのままに「ゴン太」と命名。オスだった。
今度は、娘らが社会人なので、餌も散歩も母の役目。
ゴン太にとって母は、命の恩人で世話もしてくれる人。
どうも、犬のヒエラルキーは、
母
父
妹
俺
私(めったにいない)
だったようだ。
予防注射は、犬がたくさんいてハイになっているうちにプスっとやられて終わり。
ちっとも嫌ではなかったらしい。
ところがしばらくして、ゴン太が動けなくなった。
前の飼い主は散歩をさせていなかったらしく、
ゴン太は散歩に慣れていなくて、
嬉しさの余り猛ダッシュするので、首の神経を痛めてしまったのだ。
医者には「この犬は、もう歩けません」と診断されたが、
母は、ゴン太を、
立ち上がり、
次は一歩、
次は三歩、
歩いてみて、
距離を少しずつ伸ばし、
走れる体にリハビリした。
首輪をやめて胴体にかける紐にして、
散歩を再開。
そんなある日。
散歩中に土砂降りがいきなり降った。
ゴン太は賢い犬で、背の高い草むらに入り込んで伏せた。
そのまま母がどう言っても動かず、
にわか雨が止むころには、母はすっかりずぶ濡れになっていた。
ビーグル犬、って、元は猟犬だからな…
ゴン太も庭飼いだった。
ビーグル犬は「草原のオペラ歌手」と別称があるほど声がいい。
そしたら新しく越してきた近所から、苦情が保健所に入ったそうだ。
犬がうるさい、と。
保健所から来た人は「吠えませんねぇ…。大人しい犬ですよね…。」
市役所からも人が来た。「吠えませんねぇ…。」
ゴン太は無駄吠えはしない。
「散歩の時間だよ!」「餌の時間だよ!」だけである。
それでもうるさいと思う人にはうるさいんだろう、と、
ゴン太は、声を小さくする手術をした。
医者には「吠え声が小さくなると犬はストレスを感じますからね」
と、注意されたが、
ゴン太は性格のいい犬なので、
いつもごきげんなのは変わらなかった。
母が、それまでより気をつけて、全身なでてやっていたからかもしれないが。
そんなこんなで10年経った。
ゴン太は成犬で拾われてきたので、何歳かわからない。
ただ、体に白髪が目立つようになってきた。
ゴン太の悪い癖は、たまに胴輪を抜けて脱走してしまうことだった。
一度首を痛めているから、きつく締められないので。
そして帰巣本能が弱くて、迷子になる。
しかし、村では散歩をする母とゴン太をみんな見ていたので、
誰かしらが連れてきてくれていた。
とうとう行方不明になったのが、12年目の春。
母は、市の保健所、両隣の市の保健所、犬の処分施設に連絡したが、
ゴン太は見つからなかった。
母「多分、誰かに拾われたのよ。気のいい犬だから。
それに、もうすぐ寿命だしねぇ。」
そう言って、諦めた。
だから、ゴン太の死に目には会っていない。
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