一周忌

「ああ、去年の今頃はお父さん生きてたわ。」

そういうのが口癖になった。夫が死んで、一度目の夏が来た。

「なんだか、お父さんが死んだ気がしないのよねぇ。」
と、娘に言うと、
「ああ、まだこの家のそこらへんにいるんじゃない?」
と、娘は答える。

本当に、時々隣りにいる気がするのだ。
春バラが咲いた、芍薬が咲いた、
庭にしつらえた立派な藤棚にたっぷりと藤が垂れ下がって
「今年もきれいねぇ。」
と、独り言を言うと、
隣りで息遣いが聞こえる。

それは怖くも気味悪くもない。
だって夫だもの、長年連れ添った夫だもの。
娘は、
「お父さんは祭りが好きだったから、夏祭りが過ぎるまで成仏しないわよ。」
と。
そうかもしれない。
本当に歩けなくなるまでは、祭りの神輿について海まで行っていたのだ。

そして、今年の夏祭りが来た。
今年は珍しいほど快晴で、盛大な祭りとなった。

祭りの日が過ぎたら、あちこちで聞こえていた夫の息遣いが聞こえなくなった。

ああ、あっちの世界に行ってしまったのかしら、と、思いながら、
一周忌の準備をした。
夫は、夏祭りの数日後に死んだのだ。
僧侶が、
「今回、私は感動しました。」
と、言うくらい、朗々と読経したのは娘だ。
「とてもよい供養になったことでしょう。」
と、僧侶に褒められた。本当に立派な一周忌だったと思う。

そうしたら、帰宅するとその日、夫の息遣いがまたはっきり聞こえた。
そして、その晩、夢を見た。

夫と二人で参拝した川崎大師。そこに二人で行く夢だった。
途中で電車を乗り換えるのだが、ふと気づくとそばに夫がいない。
夫は、隣のホームにいる。
他人より頭一つ背の高い夫。帽子が好きで、いつもかぶっていた夫。
人ごみの中にいても、はっきり夫とわかるから、
私は一生懸命手を振って、こっちの電車、こっちのホームよ、と、合図しているのに、

夫は隣のホームに来た電車に乗って行ってしまった。

目がさめた。
ああ、私は一緒に行けなかった。
まだ、この世にいろということなのだろう。

早朝、私が散歩に出ると、いつも会う老人に会った。
その方は、妻を亡くしてもう十年と聞いていた。

「私もね、誰に言っても相手にしてもらえないんですけどね、
妻が最期の別れをしにきてくれたんですよ。
夢でね、妻が私を起こして言うのです。
『お父さん、私、先に行きますからね』
そしたら、本当に目がさめましてね、ああ、やはり妻が死んで一年でしたよ。
そうですか、奥さんにもありましたか。」

夫は、行ったのだ。

新盆に帰ってくるのは、仏になった夫。きゅうりの馬となすの牛を用意しなきゃ。

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