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私と右手と川柳とオタク

「俺、定年退職したら雑誌のカット描きになるのが夢なんだ」
この密かな夢は死亡フラグだった。

あれは20年前。
高校生の投げたボールは私の右側頭部を直撃
網膜剥離と右手の神経の異常。

生意気な部下と目をつけられていた私は
上長にここぞとばかりにパワハラを受け
ストレス性の発作を起こす
主治医は「上司のパワハラによるもの」と明言したのだが
どうやったか知らんがもみ消された。
組合にも顔が利く上長だったからだな。

苦しいことは色々あったが

絵が描けない。

他人にとってはくだらないことだったらしい。
ペンタブや描画ソフトを使ってもダメ。
諦めたときに

◎IT川柳

なるものがあって、何気なく出してみたらビギナーズラック。

>メモリーを外付けにしたい物忘れ

コンピュータ関連の担当だったからな。ITには親和性がある。
そこから色々な川柳公募に出すようになって

◎オタク川柳

絵が描けなくてずっと泣いてた。
救いはアニメだった。
元々アニメマンガが好きだ。
まごうことなきアニヲタである。

七回入賞した。
もう人生の一部。

他の公募にはあまり出さなくなったが、
オタクを生涯やめることがないであろうことから
多分オタク川柳をやめることはない。

句集も出してる。

最近は、文芸川柳にシフトし始めた。
かつ、画像生成AIなるものが台頭してきて、絵が描けるようになった。
んで、「川柳画」つまり「俳画」のように画像生成AIに川柳を詠み込ませて絵を描くのを趣味としている。

軽く書いたがここまで20年。
21年目に突入する。
色々あった。

そう、全ては四文字に凝縮される。
「人生色々」。
川柳や俳句は十七音。
特に川柳は人間を詠む。
限られた音数で表現する世界。
これもまた、私に合っているようだ。

この文章は
【投稿企画】#私と川柳 に参加しています。


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