老害

【今回はFacebookにもシェアしようと思っているので、冒頭に書きますが、小説です。】

私の仕事が消えた。

それは、Windowsがまだなかった頃の話だ。
私は、ちょうどWindowsと同じコンセプトのユーザーインターフェイス、
要するに画面と使い勝手を開発している最中のプロジェクトの末端にいた。
日本で同じこと考えてたんだよ、先進的だよね。

その先進的プロジェクトがWindows発表で消えた。

プロジェクトが中止になったら、末端の私には仕事がなくなった。
上級SEは、すぐに別の仕事を始めた。
それだけの力量があるから。

で、上司が私に割り振ったのは、

「システムのバグで、ここを直せばいいんだけど、
予算がないし、稀に起こるケースなので、
コストと修正での利益が見合わないんでやりません。」

と、いう、仕事だ。

書かれてある通りの箇所を直した。
直らない。
ソースプログラムは?
ない!

恐ろしいことに、余りにも古いシステムなので、
ソースプログラムを常に保管、という当たり前のことがなかったらしい。
書類の山を探した。
印刷でいいから、文書の中にソースプログラムはないか?
ない。
古すぎるシステムなので、文書の保管期限が切れて廃棄されていた。
稼働しているシステムだから、最終文書はあるのだけれど、そこに個々のプログラムはなかった。

次は、古参のSEに聞いて回った。
このシステムの開発に携わった人はいないか。

「あの人に聞いてみたら?」

最後に辿り着いたのが、部署全体の保守を担当する人だった。
私の部署は、管理職コースと専門職コースがあり、
優秀な人ほど、ある程度の年齢で、管理職コースにチェンジするのが普通だった。給与体系が違うから。専門職は頭打ちなので。
その人は、専門職から動かなかった。
今は、コンピューター端末(PCはなかった)・コピー機・ファクシミリなど、全部の不具合の連絡を受けて、交換する仕事をやっていた。
…言っちゃ悪いが、定年前、窓際である。

「あの人、アセンブラ時代の人だから。」

アセンブラというのは、機械の状態をそのまま打ち込んだような、機械語に近い言語である。
その頃は、プログラミング言語は、人間の使う言語に近いものになっていた。
つまり、時代遅れの人、と、言っているようなものだ。
でも、私は藁にもすがりたい。

私が、状況を説明すると、「あの人」は言った。

「私はそのシステム担当になったことはないよ。
だが、ダンプリストを見せてくれないかね?」

ダンプリストとは、バグが起きた時など、その時のコンピューターの状態を、16進法でベタ打ちに印字したリストである。かなり膨大なものになる。

「あの人」は、ダンプリストを読んだ。そして言った。

「ここ、4ビットnullがある。おかしいでしょ?」
「null、って、空白ですか?余白のブランクじゃないんですか?」
「空白のnullだよ。8ビットマシンで4ビットnullはおかしいでしょ。ソースプログラムはないの?」
「ありません…」
「じゃ、手の打ちようがないね。」
「あの、ソースをコンパイル(機械語に翻訳)したものって、アセンブラに近いって聞いたんですけど、それを直接直すわけにいかないんですか?」
「あれは厳密にはアセンブラとは違うから、いじれない。ソースがなきゃ無理だよ。」

その月、16時間で終わるはずの修理の仕事で、
私の残業は60時間を超えていた。

「故障個所が違います。問題のプログラムはソースがありません。要件定義とフローチャートからプログラムを書き起こすしかありませんが、私にそこまでのスキルはありません。」

上司は言った。
「わかった。成果がないんだから、残業代は払えないから。」

その年の末に、私は転職した。
「あの人」の定年より早かった。

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