小説:ある教頭の定年

「あなたは心臓に持病があるから、校長の激務には耐えられんでしょう。」

そう言われた時、終わった、と、思った。
管理職のコースに乗ったからには、校長になりたかった。
学校を運営したかった。
改善したいことは山ほどあった。
だが、私は、教頭職で定年をむかえる。

このころ、「副校長」という職歴は存在せず、校長の下は教頭だった。
校長と教職員との中継、中間管理職。
それでいいのかもしれない、と、無理に自分を納得させた。

いよいよ定年をむかえる年度に、校長が変わった。
その、私の教員生活最後の年、歯車がおかしいと感じ始めたのは七月だった。

夏の高校野球地区大会が始まる前だった。
教職員玄関で

ガシャーン!

と、何かが割れる音がした。
真っ先に駆けつけたのが私だった。
男が、消火器を職員玄関のガラスに投げつけて叩き割っている。

私に体術の経験はない。
だが、思わず跳びついた。
消火器を持っている方の手を男の背中に後ろ手に回すことができた。
体重を思い切りかけて押し倒す。
抑え込んだ所へ、他の教員がかけつけて一緒に押さえつけてくれた。

「警察!110番お願いします!」

男は近隣住民で、
「本校がグラウンドにスプリンクラーで水を撒くと、シャワーの湯の出が悪くなるから。」
が、動機だった。
勝手な動機だ。

だが、その時、ふっと思った。

(今度の校長は、自ら地域との連携に動いたことがない。)

学校近くの地域では、どうしても何らかの不満をかかえる住民が多い。
地域清掃ボランティア、も、交流だが、
生徒や平教員には言ってもしょうがないことが多々ある。
自治会の会議に校長が出席して、改善されることだってある。

校長は、県の教育委員会に出張することが多い。
地域連携は重視していないようだ。
県に行くのが、随分多いな…。その時、漠然とそう思った。

「話が違うじゃないですか!」

夏休みの直前だった。朝の打ち合わせでA教諭が声を荒げて校長に詰め寄ったのは。
発端は、校長が新しい教育目標の試験校に我が校を推して来た、見返りにPC環境を充実させる、と、職員会議で言ったのだが、それを朝、試験校は決まった、PCは増やせない、と、ひるがえしたことである。

当時、全職員に対してPCは、四台。あとは、生徒が使う情報教室を空き時間に使っていた。
A教諭は、情報担当だが科目は数学科。情報専任教諭は居なかった。彼が数学と情報の授業を兼任していた。

「この台数で、処理しきれるわけない!」
「なんだ、その口のきき方は!」

校長が怒鳴り返す。
その場は、二人を引き離し、うやむやにしたが、学校の歯車が狂いだした。

校長は教育委員会から、新しい業務を引き受けて来る。それは二つや三つで済まなかった。
A教諭を先鋒にした、反対派と衝突する。

「マンパワーが足りないと言っている!それを補う職場環境もない!」
「君は、マンパワーの話しかしない!」
校長派の教諭が口を挟む。
「Aさん、どうしてそこまで反対するんですか?」
「危険だからです!事故が起きます!」
「大げさな…」
職員会議で、それまで黙して何も語らなかった年配の教諭が、言った。
「校長先生とは、かつて○○高校でともに勤務させていただきましたが、
年月と立場は、人をこうも変えるものかと、寂寥の念にたえません。」
校長は青ざめた。怒りが度を超すと人は青くなるのだ。

こうして、対立関係が悪化していった。
生徒は、我々が思うよりずっと、「先生が思っていること」に敏感だ。
今度の校長は、先生方に嫌われているようだ、と、察知したのか、

ある日、校長室の前の廊下に、カップ麺がぶちまけられた。

校長は激怒した。必ず犯人を捜せ、と。
教頭である私は、学校内を見回るよう命令された。
教員は、犯人捜しに熱意はない。当然、犯人は見つからない。
校長は苛立って、私に見回りの回数を増やすよう命令した。
校舎内を回った。一日に何度も、何度も…。

「教頭は、心臓が悪いから校長にならないんじゃなかったでしたっけ?校舎巡回は不当命令じゃないんですか?」
A教諭に、話しかけられた。随分と失礼な問いかけだが、それには理由がある。
私は、教員の頃、高校生のAの数学を担当していたのだ。
それは周知のことで、教員間では「師弟コンビ」というあだ名がついていた。
「Aさん、あまりキツい物言いはしない方がいい。君自身のためにも。」
と、私が言うと、
「教頭があなただから、これでも抑えているんです。」
A教諭は、ニヤリと笑った。
「カップ麺、君じゃないだろうね?」
「まさか。そこまで馬鹿じゃありませんよ。」
Aと私との関係がまた、校長の猜疑心を煽っていたかもしれない。
この時は、さらに事態が悪化するとは予想もしなかった。

意地のように、校長は教育委員会から仕事を持って来て、
有無を言わさず次々実施段階に突入させた。
各々の教員が過労であることが見て取れた。

私だって必死だった。
教員と校長とのパイプ役として。
引き受けた業務は、やらなければ結局、実害を被るのは生徒じゃないか。
だが、それを一番分かっているのは、現場の教員だ。生徒を前にすれば教師は動く。校長の方針に反対の教員たちも、否応なしに勤務は超過していった。

組合は何をしていたのか?
組合は校長と協調路線だった。
校長は、いわゆる「声の大きな人」、会議に大声で発言する人を揶揄した言葉だが、そういう教員を味方につけて、組合を骨抜きにしていた。
A教諭をはじめとする反対派は、組合を脱会。
職員会議では、非組合員ばかりが反対意見を述べるという奇妙な現象が起きていた。

そして、事故は起きた。

一月初旬だ。
バス停から学校へ通勤途中のA教諭が、暴走車にはねられた。
相手は、未成年・無免許、パトカーから逃げて我が校の正門前通学路を突破しようとしたのだ。
生徒はみなよけた。A教諭だけがよけられなかった。ひとりだけボーっと歩いていた、とは目撃者の談である。

幸い、A教諭は命に別状はなく、三ヶ月の入院と診断された。

校長は「当校敷地外の事故だから、労災認定はできない。」
と、言った。
通勤途中であることは明らか、今では信じられないかもしれないが、それがまかり通った時代があるのだ。裁判でも、勝敗はわからない頃が。
そして、校長は、A教諭の経済事情・家庭環境から、裁判には持ち込めないと踏んでいた。組合の支援もない。

それを入院中のA教諭に伝えるのが、私の仕事と。

私は、事故直後すぐ見舞いに行って、
「労働災害であることは明らかだから、治療に専念して。」
と、言ったのだ。
申し訳ないが、労災にできない。
何故ですか。
理由は言えないが、労災にはできない。
の押し問答の末、A教諭が私に怒鳴った。

「あんたも所詮、管理側の人間だ!もう二度と来ないでくれ!」

その時、私の心の中の何かが折れた。

一方で、A教諭の怪我で授業にあいた穴を埋めなければならない。
代わりの教員は来ない。
臨時任用でそんな半端な時期にあいている人材などいない。
非常勤講師も、充当する人材もいなければ予算もない、と、県から言われた。
学校内で手分けして、A教諭の穴を埋めるしかない。

「教頭先生、三学年の理系進学クラスを担当していただけませんか?」

極めて異例のことだが、三学年は、一月いっぱいが授業で、卒業試験に入り、その後は自由登校だ。短期間だから、と。数学科は手いっぱいだから、と。

こうして、数時間だが私は教壇に立つ事になった。

楽しい。

こんなにも授業をするのが楽しいとは思わなかった。
数学は美しい。
力づくで解を導くのも間違いではないが、必ず、より良い解法がある。
最もスマートな解法を探求する醍醐味、そして、目の前には、その解法の価値がわかる生徒がいる。
彼らの真剣な眼差しを感じて、授業を進めるのは、本当に楽しかった。
高校生のころのAも…、と、思い出しかけて振り払った。

そして、私の腹は決まった。

三月末、定年を迎えた。
何もなかった。教員は仕事に追われていた。離退任式は、四月にある。

定年後の再就職先を県の斡旋には頼らなかった。
私学の講師の試験を受けた。

私の教える力はまだまだ衰えていない。

試験は合格した。再び私は春から教壇に立つ。

あの高校の離退任式と歓送迎会には、私は出なかった。

【附記】
2001年度か2002年度あたりが舞台です。フィクションですが。

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