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リレー日記(2024年4月15日~4月21日)文・nszw

バナナ倶楽部のメンバー4人が、1週間ずつ交代で日記を投稿します。今週の担当はnszwです。

4/15 Fit Boxers結成

 同居人ともども少し痩せようという話になって、まず朝をむしろちゃんと食べること、夕飯は控えめにすること、そして入浴前に「Fit Boxing」で身体を軽く動かすことを心がけた。同居人はこれで明日体重が減っていなければ抗議のポテチを食べるとのたまっていたが、それではあまりに抗議が早すぎる。

4/16 ジミヘンのすごさ

 先週末ミュージックバーに行ったときに流れていたジェフ・ベックに感銘を受けて以来同居人は歴代の有名ギタリストを順繰りに聴いていってみようというモードに入ったらしく、Apple Musicで「弾きぐるい」というプレイリストを作って、誰を入れればいいか僕にも聞いてきた。僕もそんなに詳しくないので、とりあえず「ギタリスト」とかでググって出てきたひとを入れればいいのではないかと提案し、あとは自分が知っている限り最高のギターソロのひとつであるファンカデリックの"Maggot Brain"のレコードがちょうどあったので流した。
 歴代の有名ギタリストを検索すると一位に挙げられていることが多いのはやはりジミヘンで、「ジミヘンってやっぱりすごいの?」と同居人は僕に訊ねてきたが、僕にいわせればジミヘンはほんとにすごい。というかすごいかはわからないがほんとにかっこいい。ほんとにかっこいいと思えるということはすごいのだろう。高校生か大学生の頃に有名なミュージシャンをなんぼのもんじゃいと順繰りに聴いていっていたとき、ジミヘンとボブ・マーリーはまじでかっこよくて、こりゃたしかに名が残りますわ、と僭越ながら思った。当時にしては、とか、歴史的文脈や後続に与えた影響を鑑みると、とかではなく、それ単体として、絶対的にかっこいいしすごい。そういうものが人生のなかにときおり現れる。小説でいうとフォークナーとか。映画でいうとF・W・ムルナウの『サンライズ』とか。ほんとうにかっこいいもの、美しいものが持つ凄み、あるいは迫力のようなものが、時間も空間も超越して直接響いてくるようなこと。それを安易に普遍性と呼んでしまっていいのかはわからない。なにか、普遍性といい表すことに抵抗感があるとすれば、それはおそらく、それらの作品の迫力がみんなに降り注いでいるものというより、僕個人と一対一の関係を結んでダイレクトに注入されてきているもののように感じるからかもしれない。

4/17 タモリなら知っているかもしれない

 仕事で疲弊したという同居人がファミチキをご所望だったので、会社の帰りに買って、レジ袋をもらわず、小さなクラッチバッグよろしく片手に抱えて持ち帰った。最初は寝転がっていた同居人だったが、話をしているうちにノッてくるとにわかに立ち上がり、フリースタイルでしゃべり倒していた。
 ファミチキを抱えての帰り道、つい一週間前には白い花を咲き誇らせていたはずの桜は、夜道にもひと目でわかるほどに葉桜と化し、そこらじゅうに花びらが落ちている。満開の桜もいいが、それがあっという間に散って青々とした葉を茂らせる、その移り変わりの速さにこそ生命の輝きを感じる。今年は特に速いような気がしてすごい。大ヒットしたシングル曲をアルバムには収録しないみたいなかっこよさがある。
 葉桜ばかりが並び立つなか、僕たちの住むアパートの近くにある木にはまだまだ花がついていて、それが桜の個体差によるものなのか、あるいは「自分まだまだ花のままいけます」という意思表示なのかはわからない。それともそもそも桜ではないのかもしれない。そう思って見てみるとなんとなく桜にしては小ぶりな気もする。こんなときタモリだったらひと目見て「これ桜じゃないよね」というのだろう。
「これ、桜じゃなくて、ヒザクラだよね」
「お、タモリさん、さすがご存じで」
 と横にいる専門家のようなひともなぜかうれしそうにする。
 タモリは僕に向かって説明してくれる。
「このヒザクラってのはね、漢字で書くと「非桜」、ようするに「桜に非ず」って書くんだけど、昔から桜によく似た木として間違えられてきたからそんな名前がついたんだよな」
 専門家もうなずいている。夜道ということもあって、タモリのサングラスの奥の目はますますわからない。僕は「否定形で名前になることあるんですね」と応じる。家に帰ってあらためて調べてみるが、非桜なんて木はない。タモリだって間違えることはあるのだ。

4/18

 もうすっかり葉をつけている桜と、まだ花を咲かせている桜があり、後者の桜というのはそもそも実は桜ではないのではないか、というのが昨日の話だったが、今日も帰り道にそれらの木を見て、別種の桜である可能性にようやく思い当たった。別種の桜かもしれないし、あるいはやはりまったく異なる木なのかもしれない。それは誰にもわからない。

4/19 三回戦の壁

 久しぶりにニンテンドースイッチでパワプロをプレイした。僕はべつにパワプロのことなんてほぼ知らず、というか野球のこともよく知らず、ただきしたかのがYouTubeでパワプロの「栄冠ナイン」をプレイしていたのが楽しそうだったからというだけで去年の夏くらいに買って、しばらくやったが思うようにチームが成長せず、ふてくされてしばらく放置していたのだが、この前ラランドがYouTubeでパワプロをやっていて──何も知らないサーヤをニシダが狡く負かすといういやな回だったが──おもしろそうだったので久しぶりに起動した。パワプロのメイン画面みたいなところには、僕が以前プレイしていた「栄冠ナイン」の他にもかなりいろんなモードが並んでいて、今日はまずラランドがやっていた「ペナント」というモードをやってみたのだが、「打撃:よわい」に設定したCOMにボコボコにやられ、五回終了時点で八対〇くらいになってしまったのでやめた。「栄冠ナイン」と操作性が違いすぎてビビった。初心者は「栄冠ナイン」だけやっとけってことなのだ。
 その「栄冠ナイン」のほうも久しぶりなために、前回どこで終わらせていたのかをまず把握する必要がある。開いてみたら九月で、なぜそんな中途半端な時期で終わらせていたのかという疑問が生まれるが、これはわかりやすくて、ようするに、どうせ前回の僕は夏の県大会の二回戦か三回戦あたりで敗退し、三年生が引退、一、二年生の新体制のチームとなったところで放り出したのだろう。監督八年目に入るもいっこうに甲子園に近づく気配はなく、県大会では毎年三回戦止まり。監督としての闘志はとっくに失われ、いまはチームからドラフトに一人でも引っかかるかどうかということだけが関心の的。ノックの勢いも年々衰え、グラウンドの隅には雑草生やし放題、練習中にもほのかに酒くさいと噂されるうだつの上がらない僕に学校側も業を煮やしつつあるが、なまじ毎年プロ野球選手を輩出してしまっているばかりに部員からの信頼が妙に厚く、切ろうにも切れない。しかしプロに行けるか行けないかは部員個人のがんばりによるものであり、僕はそこになんにも寄与していない。僕がやっていることといえば、てきとうに練習を指示し、ときおり格下の相手とだけ練習試合をやって空虚な自信をつけ、いざ県大会となったらさっさと敗退することだけだ。

4/20 監督としての神秘性

 昨日あんなふうに書いたあと、僕が監督として久しぶりに姿を現した野球部は夏の県大会をあれよあれよと勝ち上がり、優勝候補筆頭と目されていた強豪すらも打ち破って、学校史上初の甲子園出場を決めてしまった。地元紙の取材で躍進の秘訣を問われた僕が、「そんなもん、特にないですよ。よくわからないまま部員みんなの「弾道」と「ミート」の数字を上げ続けたら打線が繋がるようになって、いつの間に勝ってましたね」と本気とも冗談とも取れない感じで答えていたのも、また僕の神秘性を引き上げることに寄与した。
 チームの四番・成澤は驚異の長打率によって《関東の大砲》との異名を取り、県大会での活躍もあって高校日本代表に選ばれることとなった。成澤はすごい選手だった。成澤が好調だったために僕たちは甲子園一回戦を突破し、成澤が不調だったために二回戦で敗退した。けっきょく、監督である僕の神秘性がどうこうなんて関係なく、僕たちの勝敗は成澤次第となっていた。僕は成澤がドラフト一巡で広島カープに指名されるところまで見届けて「栄冠ナイン」を閉じた。
 ところで今日は夕方まで仕事だったのだが、十八時過ぎ、まだ明るさの残る帰路で、ここ数日僕が桜なのか桜じゃないのかわからず気を揉んでいる例の木をじっくり見てみて、やはり桜じゃないように思った。花の付き方がなんとなく桜っぽくないようなのである。でも僕はべつに本物の桜の花の付き方をじっくり観察したことがあるわけではないので、まったくもって印象だけの話だし、それに今日はその木をスマホで撮影しているひともいたので、やはり桜なのかもしれない。けっきょくわからない。

4/21 小島信夫『美濃』、東急池上線、多摩川沿い、四月の日曜日の午後という感じがする

 同居人がネイルに行っている間に小島信夫『美濃』を読み進めた。書き手の「私」と作家の「古田」がときに重なり、ときに離れ、脱線を繰り返しながら書き進められていく文章は、平日、仕事を終えた夜の時間に読み進められるものではなく、今日みたいに休日にせっせと読むしかない。じっさい、僕が今日『美濃』を開いたのも先週の日曜日以来のことだった。
 実際に存在した『文体』という雑誌に連載されていたという『美濃』だったが、連載十回を終えた段階で語り手の作家「古田」が不慮の事故で瀕死の重傷を負って入院してしまい(いちおう調べてみても小島信夫が事故で生死をさまよったという事実はない)、残りの二回分は作中の他の人物が代筆する形で書き継がれる。そうなるともう単なる文章の脱線どころではないが、よく考えると、代筆パートに入るより前の文章のなかで、古田は、死を偽って自分で自分の「終焉の記」を書いたという俳人について言及しており、それを受ける形でこの『美濃』という小説の終盤でも語り手だった古田が退場し、他の人物の代筆という形がとられているようにも思える。そうなると、この脱線ばかりの小説にもなにがしかの伏線なり構成なりが練り込まれていたということになるが、でもこれは最初から狙って書かれたというよりは、書きながらの思いつきでこういう展開になったもののように思う。
 今日は曇りか雨になるという予報を見たような気がしていたのだが、午前中読書しながらも外は晴れていて、それだったら朝洗濯すればよかったと悔やんだ。あらためて天気を調べてみると雨は後ろ倒しになっただけのようで、午後にはやはり降るとのことだったので、時すでに遅しだった。
 ネイルを終えた同居人と区の選挙へ。
 午後はこの前買ったフリップ&イーノの『イヴニング・スター』などを流しながら読書、昼寝。夕方から同居人は友だちと会う予定があるというので、僕も同じタイミングで家を出て、ワークマンの蒲田矢口渡店を目指した。来週遠出するにあたって簡単なアウトドアチェアが欲しいと思っており、同居人が以前買ったワークマンのチェアが安くて座り心地も悪くなかったので買い足そうというつもりだった。五反田で東急池上線に乗り換え、大田区へと進入した。電車の隣の席には小学校低学年くらいの男の子が座っていた。少し離れたところにお母さんが座っていたようで、僕がいるせいで離れ離れになってしまって申し訳なくもあったが、お母さんはあまり男の子のほうを気にしておらず、男の子の隣の席が空いた際にも移動してこようとせずそっぽを向いていたので、それならそれでいいのかと僕も気にせずにいたら、男の子としては一刻も早くお母さんに移ってきてほしかったらしく、自分とその隣の席の真ん中に座って二席を確保しながらお母さんのほうをちらちらと見ていた、その顔が『ヤンヤン 夏の想い出』そのものだった。
 東急池上線の終点・蒲田に着くと、今度はVの字に折り返すような形で東急多摩川線で矢口渡駅へ。僕は大田区のことをほとんど知らないので車窓を流れる景色をじっくり見た。住宅が立ち並び、ときおり片側二車線か三車線の大通りに出る。それが大田区のようだった。矢口渡駅からワークマンへと向かう道中でもまさしくその大田区を体現した景色が繰り返されるが、車窓から眺めるのとは違い、徒歩だとそこを行き交う人びとの生の表情や足取りが感じられる。それこそが散歩をするということだ。
 ワークマン蒲田矢口渡店には目的のアウトドアチェアはなかった。調べてみると二キロほど離れたところにワークマン川崎上平間店というのがあるようだったので歩いた。
 矢口渡駅からワークマン蒲田矢口渡店までの道のり、それをそのまま延長する方向で歩みを進めると、道の細い住宅街に入る。車の入れない道で子どもたちが追いかけっこをして遊び、かわいい服を着せられたダックスフントが飼い主のおばあさんを待って座っている。そのまま歩くと、やにわに蚊柱が僕の顔面を直撃し、それが予兆だったかのように長く横に広がる土手と、その向こうに大きな多摩川が現れる。
 住宅街から土手の上に移って、視界が開けると、いまにも雨が降り出しそうなほどの曇り空であることに気がつく。水気を含んだ風が草木を揺らしている。それでも土手の遊歩道や、もっと川側の歩道、そして川沿いのグラウンドには人びとの往来が絶えない。四月の日曜日の午後という感じがする。

 川に近いあたりに、凧がひとつ上がっている。高い位置で風になびくその凧を、誰が上げているのか、僕が歩いている土手からでは判別できない。おそらくあのひとではないかと推測した男性が凧と別の方向に歩き出したので、いよいよわからなくなった。
 そのまま土手を進むと、ガス橋という名前の橋に当たる。多摩川にかかる橋だ。橋を渡ると川崎市に入り、そう遠くない位置にワークマン川崎上平間店がある。ガス橋は通行量のわりには細い橋で、信号待ちをする車のドライバーと目が合ってしまって気まずかった。
 ワークマン川崎上平間店にも、目的のアウトドアチェアはなかった。

文・nszw(29歳/さそり座/左利き)

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