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ばななへ

このブログのタイトルを何にするかしばらく迷っていたのだが、結局ピンとくるようなふさわしいものが思いつかなかった。
本当はたぶん、色々書きたいことや伝えたいこともあるのだけれど、今はただ記録として思いのままに書くことにする。


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いつもどことなく微笑んでいるばな


昼ごろに投稿した「ばなログ5月」にも書いたが、13日の夜に病院から帰宅したばなちゃんは、鎮静剤の効果が切れてからはずーーーっと吠えっぱなしだった。抱っこしても、体勢を変えても、飲み物や食べ物をあげても、鎮静剤を打ってもとにかく吠えっぱなし。
認知症のせいで「限界」のリミッターが外れているとはいえ、いったいこの骨張った体のどこにそんなエネルギーがあるのだろう?と感心してしまうくらいだった。

神経が図太い私は24時半くらいにはウトウトしはじめ、ヨーコの「ばなちゃんのお水もってきて」とか「体勢どうしたらいいと思う?」というような相談には寝ぼけ頭で応えつつ、布団に沈んだ。
一方のヨーコは最初はばなちゃんに添い寝をしていたが、26時くらいにようやく吠え止み眠りだしたので、自分の布団にもぐりこんだらしい。けれど、ふいに「ばなちゃんを確認しなければ!」と目覚め、ばななの元に近づいたという。
ヨーコに「ねえ、ばなちゃん息してる!?」と呼ばれた私は、その瞬間に
ガバッと起きて走り、ばななの体をまさぐった。いつもは寝汚い私も、ここ1〜2ヶ月はばなちゃんがちょっと動くだけで目が覚めるようになっていたのだ。

「だいじょうぶ、してるしてる。……待って、してないかも。してないかもしれない」そう答えたのを覚えている。ばななの身体は熱かった。でも、まさぐった体から、心臓の鼓動を感じることはできなかった。

5月14日木曜日、26時45分頃。15年9ヶ月7日。ばなちゃんは家族全員が揃った空間で、ひとり静かに息を引き取った。


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亡くなる数時間前のばなちゃん。昔から私の膝の間で眠るのが好きだった。


最近ずっと、仕事や作業をしている途中でも、振り返ってばななを見るクセがついていた。一瞬「息をしていないんじゃないか」とドキッとしてじいっと体を見つめると、お腹が小さく上下しているのがわかり、その度にほっとする、というのが一連の流れだった。
今日も仕事をしながら、そしてこれを書きながらしょっちゅうばなちゃんの方を見てしまったのだが、今度は不思議と体や毛布が動いているような気がしてしまった。酸素機器のシューシューという音がしないことが、今は寂しくて、悲しくて、切ない。


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生後5ヶ月のちったいばなちゃん。お顔が全然違う。


ばななという犬は、最初から最後までおりこうさんな子だった。いつだって私とヨーコの勝手な都合やタイミングを察知するかのように生きていた。
小さい頃からずっと、一人で家の留守を守ってくれていた。一人でお留守番をさせられないくらい病状が悪化したのはこの1ヶ月だけだし、私の在宅勤務の開始とぴったりのタイミングだった。
約1ヶ月前に呼吸が止まったものの、名前を呼んだら戻ってきてくれた。私とヨーコにばななと、そしてばななの死と向き合う時間をたっぷりくれた。介護生活はこの記事で書いたようにストレスも溜まったし大変だったけれど「今までずっとお留守番をさせてろくに相手をしてあげられなかった」という私やヨーコの罪悪感を和らげてくれた。
ギリギリまで自力でご飯を美味しそうに食べ、愛らしく眠り、在宅期間が終わりそうだとか、金銭面を考えなければならないだとか、安楽死を選ぶ/選ばないだとか、そういう事柄をギリギリ見計ったタイミングで、静かに眠った。


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4月の後半かな。好物のヨーグルト、食べるの下手くそ


ばなちゃんは私が9歳の時から、懸命に私に寄り添って生きてきた。初めて出会った日には私の膝の上でお腹をだして眠り、我が家に来てからは犬用のリュックに大喜びで自分から入り、私に背負われてどこへでもついてきた。夜になれば私の布団にもぐりこみ、撫でると寝ながら「ふご」と鼻を鳴らして返事をした。そういう小さな幸せが積み重なった15年間だった。

いつもは「愛してるよー」とか「大好きだよー」という声をかけてから寝ているのに、今日に限ってさっさと眠ってしまった。そんな大馬鹿自己中人間の私は、ばなちゃんに何をしてあげられただろう?
もらったものの大きさを考えると、私のできたことなんて本当にちっぽけで、この小さな体にどんな思いを残してあげることができたのだろうかなどと考える。最後、ばなちゃんは幸せだっただろうか?寂しいとか、悲しかったり気持ちではなかっただろうか?


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2013年頃。初めての手術。すごい批判的な目…


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ガラケー発掘で出てきた写真。顔も違うし割り箸奪ってるし。
後ろの鞄がばなちゃんが大好きだったお出かけリュック。


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乳腺癌の手術後。余命まで宣告されかけたけど無事復活して元気になった。


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私が寝っ転がっていると大抵そばによってきた。


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呼吸停止から復活してきた直後のお昼寝。
亡くなった今も同じ顔してる。


ばなちゃん。15年と4ヶ月前、はじめて会ったその日からずっとずっとずっと私のそばにいてくれてありがとう。あの日、なんでばなちゃんは初対面なのにお腹をだして私の膝でぐうぐう寝てくれたのかな。あんなことをされてしまったら、もう、この子しかいないって思っちゃうよ。

ばなちゃんが私より先にヨーコに懐いたのが気に食わなくて、小学校を休んでまで「微妙な距離」でお互いドキドキしながら一緒に過ごした日。私に背負われておばあちゃんの家まで通った日。おばあちゃんの家から脱走して、一人で公園まで遊びに行っちゃった日。初めての手術が終わって、迎えに行った日。目が見えなくなったってわかった日。私が留学から帰ってきた日。一緒に公園で三人乗りの自転車に乗った日。家族写真を撮った日。お花見をした日。ばなちゃんの大好きな人たちが会いにきてくれた日。ばなちゃんは覚えてるのかなあ。

ばなちゃんは典型的次女っ子で、私がヨーコに怒られていたり喧嘩をしていると「関係ありませんよ」って顔で寝たフリしてたね。そのくせ喧嘩が終わると、私の涙がしょっぱくて美味しいからってぷりぷり舐めにやってきたっけ。若い頃はお散歩すると夢中になりすぎて、私たちのことなんて完全に眼中になかったね。そういうマイペースなところが可愛くて大好きだった。あと、ばなちゃんに鼻をうずめると香る、ポップコーンの香りも好きだったな。

私はダメな飼い主で、お散歩をサボったり適当に流したりお留守番をさせることも沢山あったのに、ばなちゃんはどうしていつもいつもいつも私を待っていてくれたんだろう。私を好きでいてくれたんだろう。もっと若くて元気な時に沢山色々なところに連れて行ってあげればよかったと後悔する私とヨーコのために、歳をとって病気になってからも公園だとか、お花見だとか、カフェだとか、色々なところに一緒に行くチャンスをくれてありがとう。1時間かけて病院まで歩いて行って、眠ってしまったばなちゃんを抱っこしながらまた1時間かけて帰ったり、カフェでご飯を一緒に食べるの、楽しかったな。道ゆく人に「かわいいですね」って言われるの、嬉しかったな。15歳です、っていうとみんな見えないねってびっくりしてたね。そうだよね。おりこうさんにいっぱい食べて、お散歩もしてたから、何歳になってもつやつやでぷりぷりで元気でかわいいんだもんね。

体がしんどくてしんどくて、一度は呼吸をするのをやめたのに、また戻ってきてくれてありがとう。1ヶ月間、一緒に眠ったり、お散歩したり、ご飯をあげたりする時間をくれてありがとう。1番眠れなかったり、苦しかったり、辛かったりするのはばなちゃんなのに「疲れた」とか言ったりぴりぴりしてごめんね。ばなちゃんの前でヨーコといっぱい喧嘩してごめんね。私たちのことを困らせないように、でも、悲しませないように、いっぱいいっぱい考えてくれてありがとう。やっと楽になったんだよね。苦しくて起きることも、吠えたくないのに吠えることも、食べたいのに食べれないこともないんだよね。ばなちゃんが亡くなる前に、膝の上で抱っこすることができてよかった。最後に、まだ温かいばなちゃんを抱きしめることができてよかった。ありがとう。こんなに素敵な子と家族だったなんて、私たちはなんて運がよかったんだろう。

ばなちゃんは今どこにいるのかな。私たちのそばにいるのかな。家のどこかにいるのかな。それとも久しぶりのお散歩を楽しんでいるのかな。
私は天国があるかとか、神様はいるかとか、そういうことは何もわからないけど、世界一頑張り屋さんのばなちゃんが、一等幸せなところにいるならいいな。でも、本当は、まだ私たちのそばにいてくれてるならいいな。私のひざの上で、今も鼻を鳴らして眠っているんだといいな。
私はばなちゃんほど偉くも頑張り屋さんでもないから、ばなちゃんと同じところにいけるのかはわからないけど、ヨーコも、私も、いつかはこの体とお別れをするから、その時は迎えにきてくれると嬉しいな。


ばなな、ありがとう。愛してるよ。寂しいよ。だからもう少し、そばにいようよ。

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