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『さよならはエモーション』を聴き、俺は逆立ちションをした。

俺は不幸である。

不幸であるというか、幸せを感じたことがない。

これはなにも、「なんで俺だけいつも不幸なんだ…」とか、「ほら、俺はこんなにも不幸なんだよ」等のように、不幸自慢でも被害者意識をひけらかしたいわけでもない。

俺は物心が付いた時からなんとなく、うっすら、ずーっと不幸なのである。

不幸な人間だからこそ、俺はデフォルトとして真っ直ぐ純粋に、自暴自棄である。

全くもって「死にたい」とは思わないが、死にたさの測量計は常に目盛りを刻んでおり、喫煙や短眠・アルコールで目盛りを揺らし続ける行為に俺は快感を覚える。

なんの迷いもなく死へとひた走ることに、俺は一縷のロックンロールを感じているのだ。

少し話が逸れたが、つまりは、幸せは不幸の対義でしかないのである。逆も然り。

俺が勘違いしたことのある、「幸せだ〜い」という思いは、あくまで「楽ちい!」や「嬉ちい!」のような肯定的感情であり、肯定的感情が見せた幻影・虚構である。所詮、大脳皮質で認識されたものでしかない。

幸せはもっと、なんというか、脳の認識レベルを超えた、半ばファンタジー的なものであると思っている。なので、事あるごとに「幸せ〜」とばかり唱える人間が「脳内お花畑」や「メルヘン野郎」と言われるのは、あながち間違いではないのだと思う。
この脳内お花畑メルヘン野郎が!

話は変わるが、最近、俺にとって良くないことが連発した。
長くなるので詳細は省くが、その中でも最も良くない「とある事」があって、俺は心底落ち込んだ。明確に「不幸だ」と感じたのだ。

俺はその「とある事」の帰り、サカナクションの『さよならはエモーション』を聴いた。

その時ふと、本当になんとなくだが、『さよならはエモーション』の歌詞と同じこと、つまりは当時の山口一郎さんが行ったであろう行動をなぞらえよう!と思った。
そうすることによって俺は山口さんなりの「さよなら」の定義を知り、それが俺に還元され、少なくとも現時点で抱えている不幸は軽減されるのではないか?と思ったからだ。

まずは皆さんにも『さよならはエモーション』を聴いて、感じて頂きたい。


どうだろうか。
サカナクションらしい、エレクトロニックなのに有り余るほどに感じるバンドサウンド、柔らかさと鋭さが混合されたメロディ、まるで夜の道を浮遊しては突き落とされを繰り返すような感覚に陥るが、決してそれは気分が悪くなるような落され方ではない。しっかりと寄り添い、最後は掬い上げてくれる。
まさに、タイトルのように「エモーション」な気分になる1曲。

私はこれからこの素晴らしい曲の歌詞を追体験し、山口さんに近づくのだと思うと、良くないことがあった直後なのにも関わらず、高揚した。

さて、早速はじめていこう。まずは最初の歌詞。

当時は深夜ではなかったが、それでも22時前後だったので、良しとした。
近くのファミマへ寄り、「とある事」を早く忘れたいと願う自分に缶コーヒーを購入する。
コンビニの缶コーヒーがまあ高いのなんの。
流石にリリースされた当時程の値段ではないだろうが、「山口さん、わざわざこんな高いところでコーヒー買わなくてもいいだろ…」と独り言を呟いたのち、この独り言は歌詞の一部に組み込まれていないと気付き、すぐに撤回した。
いやしかしそれにしても高いだろ。希望小売価格ってなんだよ。犯罪だろ。

もちろんレシートはすぐに捨てた。もはや「レシートいらないです」という必殺技を使い、手にも持たなかった。

俺はコーヒーを飲み干し、また歩み出す。

さあ、次に行こう。

いわゆるサビである。

俺は「エモい」という言葉が嫌いだが、少なくとも「とある事」があった夜はエモーショナルな気持ちにならざるを得なかった。いや、無理やりエモーショナルだと信じ込み、俺は少しでも不幸から逃れたかっただけなのかもしれない。

もちろん、今にも溢れそうな涙をひたすら堪える。
そして、こんな気持ちになるのは久しぶりだった。
久しぶり過ぎて忘れていた。
この忘れていた気持ちが「エモーション」であるなら、俺はもう二度とエモーションになんてなりたくなかった。

帰り道に霧なんてものはなかったので、自分で吐いた白い息めがけ、勢いよく突入した。それで良しとした。

その際、腹部に若干の違和感を感じていたのだが、「腹部に違和感を感じる」なんて歌詞は載っていないので、その違和感は良しとはしなかった。

そして俺は進む。

……逆立ち?
本当に、山口さんは逆立ちしたのだろうか?

俺は一瞬疑ったが、そんな自分を恥じらった。

あの山口さんだ。きっと逆立ちをしたんだ。なんで俺は信じられないんだ。だから俺は不幸なんだ。

そして俺は両手を床につき、逆立ちをした。
(ちなみに、この頃にはすでに帰宅していた為、自宅で逆立ちを遂行した)

俺はノーマル逆立ちが出来ないので、足を壁につけて逆立ちをしていた。
逆立ちをしながら、そのまま色々なことを思い出していた。
「とある事」の原因となった人のこと。その人の部屋のこと。楽しかった思い出、寂しかった思い出。
ああ、タイミングのずれだった。もう少し俺がしっかりしていれば、早くに想いを伝えていれば…

ぐるぐるしてきた脳みそ、それは血が昇っているからなのか、それとも思い出した切なさからなのかは分からなかった。

そして、脳みそに比例するように、腹部がぐるぐるしてきた。先程の違和感が、決定的となった。


おしっこをしたい

おそらく缶コーヒーに含まれるカフェインのせいだろう。
利尿作用を、俺は呪った。

山口さん、あんたに

そのまま、そのまま、そのまま逆立ちを途中で止め、僕は行く、お手洗いへ

という歌詞を書いていて欲しかったとどれ程願っただろうか。
恐らくそれを願った人間は世界のどこを探しても俺しかいない。

しかし、無情にもそんな歌詞はない。
だから俺はお手洗いに行くことを良しとしなかった。
俺はおそらく強迫性障害持ちなので、一度俺が決めたことは遂行しなければ気が済まず、決めていないことは絶対に行えないのだ。

俺は強烈な尿意を催したまま、君の部屋と思い出を考え続ける。

君の部屋は広くはなかったが、心地良かった。
君の部屋からは微かにコーヒーの匂いと、干してある洗濯の柔軟剤の匂いと、お香の香りがした。俺はその匂いが好きだった。お手洗いの匂いも同様に好きだった。なんの芳香剤を使っているのだろう。最後に聞けばよかった。そもそも、あのトイレは結構広かった気もする。何畳あるのだろうか、トイレットペーパーは何を使ってたのだろう。トイレのドアは内開きだっけ?外開きだっけ?最後に、君の部屋のトイレで用を足せばよかったなぁ。


そして、すでに俺は限界を超えていた。

俺は、逆立ちをしたまま、小便をした。
じわりとジーンズに染み、ゆっくりゆっくり垂れ、腹筋をなぞる。そのまま胸元を静かに流れ、止まることなく首元へと到達。俺は無言で全てを受け入れることにした。

理科の実験で嗅いだアンモニアの匂いが僅かに鼻を通る。やがてそれは劈くような匂いに変わる。

俺は無言だった。「逆立ち中に喋っていい」と歌詞に載っていないからだ。

俺は厄介な生理現象を、厄介だと思ってしまうことが怖かった。
そう思うことで山口さんから離れてしまう。
そもそも、「厄介だと思え」と歌詞に載っていない。

ん…?

あれ…?


おしっこしていい、逆立ちしたまま


なんて歌詞、あったか?

いや、あった…
ん、あれ、いや、




ねえじゃねえか!


そんな歌詞どこにもねえよ!
何してんだよ俺!

漏らし損じゃねえか!!

糞が!

いや、糞がじゃねえ!!

尿が!!

俺はすぐさま逆立ちをやめ、全裸になりタオルを持ってくる。
そのタオルで体と床を拭き、「クソ…クソ…尿…」と繰り返し唱える。
自然と涙が溢れそうになったが、お漏らしして泣くことに俺は最大限の抵抗をした。幼児退行は免れた。

苛立ちを隠せぬまま、そして本当に何も悪くないのだが、サカナクションと山口さんにも苛立ちを覚えたまま、俺は「ふんぬ…ふんぬ…」と荒い息をする。

自分を落ち着かせるためと、体をキレイにするために、シャワーを浴びる。


その瞬間、俺は人生最大の幸せを感じたのであった。


幸せは不幸の対義である。

そして、尿は糞の類義である。

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