ボーイ・ミーツ・ナンバーガール
本日、ナンバーガールが二度目の解散をする。
私は黄昏時にひとり佇み、煙草にそっと火をつける。
陽を輪郭に纏った群雲は、いつもより流れが速い。
流れの速さの原因は風か、時か、自転か。
それとも全てか。はたまた無か。
いつも見ている風景さえも、ナンバーガールに支配されている今日の日は世界の理や法則を無視して、私の情緒に付属する。
音楽を再生する。
音楽機からイヤホンに伝わり、耳介に伝導する。そして鼓膜を通った音楽を蝸牛が感知し、やがて脳に伝わる。
頭の中の思い出が蘇る。
OMOIDE IN MY HEAD
私は15歳の頃、ナンバーガールと遭遇した。
私の脳天を彼らのグルーヴが突き抜けた。
私はいたく感動したのだ。
私は外を駆け出す。衝動性を抑えきれなくなったからだ。
外は、雨上がりの匂いと西日に照らされた木々が靡いていた。
その光景は間違いなく、自由自在な光り方で美しく輝いていた。
それが、これから私とナンバーガールが過ごす生活の原風景であった。
彼等について調べた。
調べなければよかった。
彼等は居なかった。
遥か昔に解散していたのだ。
無常である。
少年はそこで初めて儚さを知る。
彼等との原風景は、殺風景だった。
Sappukei
2019年、彼等は「復活する」と宣言した。
稼ぐためである、と話した。
その時の私の胸の高鳴りは尋常なものではなかった。
彼等は、復活するのだ。
私は、生きるのだ。
生きるのだ、生きるのだ、生きるのだ。
彼等に会うその時まで、それが一刻であろうと刹那であろうと、私は彼等を目撃する。その時まで日常を生きるのだ。散々な日常を、生きるのだ。
日常に生きる少女
そして私は2019年の年の瀬、彼等を目撃した。
私は果たして現実に居るのか、夢の中に居るのか。
何度も自身を殴り、確かめた。
確かである、確かにこれは夢ではない。
日常に生きた少年は、いつしか青年となっていた。
そして、その日に限っては非日常に生きた。
記憶の海にどっぷりと浸かり、肉体は乖離し、トランスする。
脳はハウり、視聴覚は研ぎ澄まされる。
私のものではない肉体がぶつけられ、出血する。痣になる。
が、全く、何も感じない。
どうやら研ぎ澄まされたものの代償に、痛覚は鈍っていたようだった。
非日常だった、間違いなく。
そして私は踊り狂い、歌い狂い、狂い狂った。
狂って候
非日常は、日常があってこそのものだ。
そして日常は残酷だ。
死に至りたいと何度思ったことだろうか。
それでも私は生きていかなければならない。
何故ならば、彼等が生きているのだから。
本日、再びナンバーガールが解散する。
私は不思議と、悲しくならなかった。
喪失感が全くないと言えば嘘になる。
それでも平穏な自分が、ここにいた。
根拠も何もないが、私は彼等が三たび帰ってくると確信しているからだ。
彼等は金を稼ぐ為に、また復活する。
何度でも、意地汚くても、復活する。
彼等が意地汚く生きるのであれば、私もそうして生きていかなければならない。
それは使命である。
彼等から私への、使命である。
これから私は何度も、ナンバーガールに救われ、呪われる。
聴き続け、感じ続け、受け止め続けるという救いと呪いを、私は今生で味わい続けるのだ。
今日は無常の日である。
無情にも迎えた無常の日、黄昏時に佇む青年がいた。
かつてはその青年も少年だった。
少年は出会った。
その少年は、出会い頭に脳天を突き抜かれた。
少年を突き抜いた彼等は、そんな彼等は──
透明少女
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