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「国スポ」の見直しで将来像は見えてくるか?

「国民スポーツ大会(国スポ)」といって、どれだけの人がピンとくるだろうか? 今年から名称変更した旧国民体育大会のことである。ところが、全国知事会の会長を務める宮城県の村井嘉浩知事から廃止論も飛び出して、関係者はざわついているのだ。

村井知事が「廃止も一つの考え方ではないか。非常に開催地の財政的負担は大きい」などと定例会見で発言したことをきっかけに、全国の知事がそれぞれに持論を展開した。各地の知事会見を調べてみると、こんな意見が出ている。

石川県の馳浩知事は「廃止すべきだ。限られた人に負担がかかり、働き方改革に逆行する」と述べ、存続するにしても2年に1回とするなど見直しを求めている。島根県の丸山達也知事は「今のまま3巡目に入るのであれば廃止するべきだ。(費用面から)そもそも開催できない」という主張だ。

三重県の一見勝之知事は「今の形では予算的な仕組みで都道府県の負担がものすごく大きい。見直しはするべきだと思う」、神奈川県の黒岩祐治知事は「多くの選手が目標にしている。持続可能な形で継続できるよう、検討を進めることが必要だ」。全体的には見直しを求める声が圧倒的に多い。

毎日新聞が全国47都道府県知事に対してアンケートを実施したところ、36人の知事が「継続すべきだが、あり方を見直すべきだ」と答え、他にも6人が何らかの形で見直しを求めたという。つまり42人の知事が見直しを求めているという結果だ。廃止論を主張する村井知事も「完全に廃止すべきだという意味ではない。このまま3巡目に入るのではなく、廃止も視野にゼロベースで検討すべきだ」と回答している。

戦後まもない1946年に始まった国体は、全国持ち回り方式で開催され、「国民の健康増進や体力向上、地方のスポーツ振興や文化の発展」を掲げてきた。各地にスポーツ施設が建設され、道路などの社会インフラが整備された意義は戦後復興の意味からも大きかった。また、各都道府県のスポーツ組織も張り巡らされていった。

1988年からは開催が2巡目に入った。バブル景気に沸いていた頃だ。しかし、豊かになった日本社会の中で国体は存在意義を見失い、開催県の負担ばかりが大きくなっていった。

インフラ整備に加え、運営準備にかかる人的負担も大きく、開催県が総合優勝するのが当然という風潮も重圧となっている。有力な選手を地元だけで育てるのは難しく、雇用含みで他県から連れてくる例も後を絶たない。開催地を転々とする「渡り鳥選手」も国スポの副産物である。

大会は、日本スポーツ協会(JSPO、旧日本体育協会)、文部科学省、開催都道府県の3者共催で行われているが、改革論議は約20年前から行われている。2003年には運営の簡素化を軸とする「国体改革2003」が発表された。夏と秋に分かれていた大会を一本化し、参加人数を15%削減した。それでも開催地の負担感は軽減されず、2022年開催の栃木県では経費が約829億円にまで及んだという。そんな状況が続き、ついに「廃止論」までもが浮上したというわけだ。

3巡目に入る2035年に向けて、JSPOでは国スポの改革を目指し、有識者会議を設置することを決めた。スポーツ界や自治体、経済界など20~30人で構成し、今年度内に提言をまとめる予定という。

複数都道府県での分散開催や隔年開催、既存施設の活用、競技数や参加人数の見直しなどが議論されることになりそうだが、それでは20年前の議論とさほど変わらない。もっと抜本的な改革ができなければ、国スポの将来像は描けないだろう。

「中国の五輪」と呼ばれる中国全国運動会は、日本の国スポと同規模の大会である。1959年から4年に1度に開催され、北京や上海、広東など大都市圏が会場となってきた。主に五輪翌年に行われることが多く、次の五輪に向けた選手を見極めるということからも、国民の注目を集める。

2021年(コロナ禍がなければ、東京五輪は2020年だった)に開かれた全国運動会は西安で開かれ、ブレイキンも含め、パリ五輪で実施される競技がすべて実施された。競技スポーツとして実施されたのは35競技409種目で、1万2000人の選手が出場。一方、生涯スポーツとして実施される19競技185種目にも、1万人以上のスポーツ愛好者が参加したという。

この規模の大会を日本で開催するのは、もはや難しい。だが、4年に1度というのは参考になるだろう。五輪イヤーと何らかの形で連動させれば、注目度もそれなりに高まる。開催地を一つの都道府県に絞る必要はなく、東北や近畿など地域ブロック単位の開催にすれば、負担も大幅に軽減されるのではないか。もしくは中国全国運動会のように、競技施設がそろっている大都市圏のみを開催地とするのも一つの案だ。

人口減少が進み、経済的にも低成長時代に入った日本。高度成長期の手法や成功体験は捨て去り、新しいものを生み出していくために発想転換すべきではないか。それは国スポの見直しだけでなく、すべての分野に言えることだ。

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