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祈り

 私は、人に期待していたい。

 望み通りの言動が返ってこなくてもいい。期待したせいで傷ついたっていい。他人に期待することが生産性の低い行動だと分かっているし、結局、自分以外の人間を本当の意味で理解しようなんて言うのは傲慢で不可能だということも、とうに学んだ。
それでも、人を信じて、繋がっていたいという気持ちの方がはるかに大きいのだ。相手の孤独をひとつも取り零さずに理解することはできないし、私の孤独も私にしか分からない。それでも、それぞれの孤独を抱えながら一緒に生きたいと思うのだ。だから「他人に期待しない生き方が最善だ」なんて、突き放して欲しくないのだ。

 祈りに近いのかもしれない。

 人間の性は善だと信じたい。人を愛していたい。何回だって真っ向から向き合って、そのたびに正しく傷つきたい。どれだけ年をとっても、恥ずかしくなるくらい真っ直ぐな言葉だけで好きな人に好きだと言いたい。なぜかって、それが一番強くてかっこいいと思うからだ。建前や見栄や意地を取っ払って、一番素直に自分の気持ちを伝えることができるのが「人として強くある」ということだと思う。「かっこわるい」を受け入れられる人は、かっこいい。それがたとえ理想論だと言われても、綺麗事だと言われても、本気でそうありたいと願っているのならば、それは十分現実的だ。

 完全な自己満足だと思う。こんな気持ちをわざわざこんなところに文字として残して、人目につくところに記録する必要だって、本当はない。わざわざ文字にまでして、そうまでしてまで私は私の持論を押し付けたいのかもしれない。でも、やっぱり期待しているから。祈っているのだ。誰かがこれを読んでくれたら嬉しいなって。それで、マイナスなことでも、プラスなことでも、どっちでもいいから何かしら思ってくれたらもっと嬉しいなって。ウソ、ウソです、本当はプラスなことを思ってくれた方が嬉しい。ついでに私のことを褒めてください。



 かっこつけて書いてたのに今ので台無しじゃんか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


 書き散らしてただけで、オチとかは特にないです。読んでくれてありがとうございます。あなたのおかげで、やっぱり、期待して良かったなって思えます。


おわり

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