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妻からもらったブレスレット。何度ひもが切れようと僕は編みなおす

いま僕の右手には、馴染みのブレスレットが巻かれている。昔むかし、もう何年前だったか、僕の誕生日に妻がプレゼントしてくれたものだ。

実はこれ、もうすでに何回も紐が切れている。過去の原型はとどめていない。必要な材料を、駅近くの手芸屋にいって買い、見様見真似で編み方を学んで、自己流に仕上げている。


ちょうど昨日も、自分の机の上で紐を編んでいた。慣れない手つきだから、1本編み上げるのに1時間ぐらい使ってしまった。

横を通り過ぎた妻が「まだそのブレスレットつかってるの?笑」なんて。そんなこと言っていたけど、僕にはどうにも捨てられなんだよ。気に入っているからね。


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日本では古くから、長い年月を経た道具には精霊が宿るという考え方がある。そんな付喪神は、人に害をもたらすという話もあれば、逆に幸をもたらすなんて話もある。

まぁ僕は神仏に明るいほうではないので、実のところがどうなのかというのは、あまり良く知らない。この文章を書くためにいろいろ調べてはみたけれど、結論がわからなかった。

ただ、シンプルに「道具に霊が宿る」という考え方は好きで、それが自分を良い方向に導いてくれるものであると信じている。目に見えない力というのがそこには働くと、信じたいのだ。

道具とは、単なるモノではない。それを所持し、使い、身にまとうことは、モノが人を形づくることでもあるのだと思う。
道具に対して丁寧に、大切に接することで、道具のほうからも、持ち主を大切に導いてくれる。

だから僕は、道具に対して愛をもって向き合いたい。そうすれば、道具に対して愛着が湧き、その道具と共に過ごす時間が愛おしくなる。


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僕がメルカリを利用するのも、そういうところに理由がある。

こういう仕事をしていると、どうしても「手に入れるガジェット」の数が多くなってしまう。

その中で本当に気に入るものが手に入ればいいが、中には僕に “あわない” 道具があるのも事実だ。すべての道具の面倒をみることはできない。

これは道具が悪いのではない。粗悪な道具も、まぁ中にはあるけれど、おおかたは相性の問題だ。

僕にあわなかっただけ。だから、そんな理由だけで捨ててしまうのは、本当に心が傷んでしまう。

道具には最大限の敬意を払いたい。だから、その道具を求める次の持ち主を探してあげることが、僕にとっての敬意を示すことなのだ。


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きっと、この先も何度か、このブレスレットの紐は切れるだろう。最後には、シルバーのパーツがどこかにいってしまって、修復ができなくなるかもしれない。

そのときがきたら、僕はひどく落ち込むのだろう。そんなに凹むぐらい、こいつとは一緒の時間を過ごしたい。


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