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ディジュリドゥ漫遊記

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2000年〜2018年までコロナがはじまるまで毎年オーストラリアを長い時で2-3ヶ月から短くて2-3週間旅して、アーネム・ランド内外の各地にいると言われるディジュリドゥ・マスター… もっと読む
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記事一覧

1. ディジュリドゥとの出会い

ハードコアバンドの鉄パイプ in NY ぼくのディジュリドゥとの出会いは1997年にNYを訪れた時でした。当時日本では見る事ができなかったハードコアバンドNeurosisを伝説のライブハウスCBGBに見た行った時のことです。その前座としてNeurosisの実験的サイドプロジェクトTribes of Neurotがステージに登場しました。 ステージの両脇には二人のヒゲをはやしたオヤジがフロアタムを両手でドンドコ打ち鳴らしながらデスボイス、そのバックにはダークな浮遊感漂うシ

2. 日本のディジュリドゥ黎明期

西日本初のディジュリドゥ・ミーティング「KANSAI BLOWOUT」 NYから帰国後、演奏方法もディジュリドゥの音源も知らないままに闇雲に練習して循環呼吸はできるようになったものの、「ビィヨォーン」というドローンの音しか知らず、悶々と1年ほどを過ごしていた。 そんな中、KANSAI BLOWOUTというディジュリドゥ・ミーティングがはじめて大阪の中之島のバラ園にて行われると聞きつけ、自作の竹のディジュリドゥをかついで出かけて行った。 目元が隠れるくらい前髪があるチリ

3. 自作の竹からユーカリの本物のディジュリドゥへ

南港ATCに輸入されたディジュリドゥ 第一回のKANSAI BLOWOUTに集まったのは10人ちょいだったんじゃないかなと記憶してます。当時はディジュリドゥに関する情報がほとんどなく、人づてでしか情報をえる方法はありませんでした。1998年当時は日本のディジュリドゥの黎明期と言えるかもしれません。そして、当時はユーカリで作られた「本物のディジュリドゥ」を売っているお店も関西には存在していませんでした。 ぼくの手元にはマウスピースにゴテゴテに蜜蝋をつけた「C#」の竹の短くて