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悪の力 (1948)

原題 Force of Evil
公開 1948年
配給 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
製作国 アメリカ

監督 エイブラハム・ポロンスキー
脚本 エイブラハム・ポロンスキー/アイラ・ウルファート
原作 アイラ・ウルファート『タッカー一味』
撮影 ジョージ・バーンズ

出演 ジョン・ガーフィールド/ビアトリス・ピアソン/トーマス・ゴメス/マリー・ウィンザーほか

■あらすじ(引用)

戦後米国における欲望と搾取のシステムを、ナンバー賭博の合法化を進める弁護士ジョー(ガーフィールド)と、その流れに押しつぶされていく兄のレオ(ゴメス)との愛憎を通して描くフィルム・ノワール。後に「赤狩り」で迫害される左翼映画人ポロンスキーの代表作で、聖書の引用を多く含む、寓意や修辞に満ちた会話に加え、名手G・バーンズによる研ぎ澄まされた白黒の画面が、欲望に突き動かされた人々を鋭く陰鬱に照らし出す。

国立映画アーカイブ
Force of Evil

■■■
スコセッシのギャング映画に影響を与えた一本として有名な作品。
ジョン・ガーフィールド演じるジョーはナンバーくじを取り仕切るタッカー一味の弁護士として、ナンバーくじの合法化を進めるために裏工作を図っている。ジョーの兄のリオも末端ではあるが、ナンバーくじの胴元として生計を立てている。
金の力でギャングに利用されているジョーも、ギャングを毛嫌いし堅気として違法くじをさばいているリオも、自分たちが悪事を働いているなどとは思っていない。自身の欲望のため、あるいは生きるためにやっていることにすぎないのだ。だが、次第に歯車が狂い始め、ジョーの身辺で脅威が出現するようになる。

一度崩れたドミノは止まらない。夜の事務所での共同経営者の怪しい動き、受話器を上げれば電話の向こうから「カチッ」と鳴る音。そして、リオがギャングから(間接的にだが)殺される。
確実に迫り来る捜査の手と、ギャングによる脅威。そして、全てを終わらせたジョーの眼前に「悪の力」の結果として現れるリオの遺体。巨大なジョージ・ワシントン橋のたもとでゴミのように捨てられていたリオの姿を見て、ジョーは放心する。

ジョーがタクシーの中でドリスに語ったセリフが印象的だった。

ジョー「 悪とはなんだ?今、君にルビーを贈るとしよう。美人だからと百万ドル相当のを…。長所が多く、純真だからと、見返りもなしに贈るとしよう。それは悪かい?」

ドリス「無償の贈り物を悪と思いません」

ジョー「倒錯的だ。不自然だ。本来、欲しい物には大金を払う。人間にとって、それが自然だ。でも無償の満足はーー今日の兄みたいに見返りを拒む自己否定はーー邪悪な行為じゃないのかい?自己嫌悪に陥る。兄弟も憎む。自分自身を責める。自分の罪だと。生きるための罪か?」

リオの死体を探すジョーは街の底へと下っていく。ジョーの破滅を見るように階段を下りるショットが続いていく。そして、ジョーが街の底で見るものは、ゴミのように打ち上げられたリオの死体。

この社会構造の腐敗ーー、金、暴力、権力が蔓延る世界で暮らす人々の生き様。社会そのものを悪と捉えたこの映画は、当時のアメリカ社会では受け入れられなかったようだ。

破滅的なラストで終わる映画だが、ラストシーンに続くカットされた法廷シーンがあったそう。

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