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雨に濡れてもいいじゃない

 傘をさす、というのが降雨に対する最もスタンダードな防御方法であることは言うまでもない。そんなこと、お前に唾飛ばしながら言われんでも知っとるわ、てなもんである。しかし、個人の見解としては、雨に濡れてもいいじゃない、というのが、幼き頃から存在して、私はこの考えの宣伝に努めてきた。それ故、私は、同級生などに、さぁ、ずぶ濡れで行こうぜ、などと言わんばかりに、自発的に水溜まりに飛び込むなどして、アピールを重ねること数多。だが、私のこのようような、彼らからするところの常識はずれ、外道、と言わんばかりの行為は、せいぜい失笑を引き出すにとどまった。それは、高純度の失笑であった。しかし、私は、ポジティブ思い違いボーイである。勿論、それを、正当にウケた、と思い、それ以来、幾度となく披露し続けた。自主的に、水溜まりに手を突っ込んで、蟻の逆鱗に触れた結果、右の人差し指に血豆をぶら下げて一日を暮らさねばならなくなったこともある。

 前述した宣伝活動は、段々と曲芸的に受け入れられ、それはそれで良かったのであるが、私の雨に濡れる行為自体が、単なるパフォーマンスとして解釈されるようになってきたように感じた。そして、それは違うと。確かに、こちらもピエロか何かになったつもりでいた部分もあるのであるが、私は、本気で雨に濡れていたいのだ。

 ここまで読んでくれた八百万の神仏を一同にかいしたような方は、きっとこう思う。なんで、こいつは傘を指さぬことに異様なまでに執着し、挙げ句の果てには駄文をしたためるのであろうか、と。

 答えは、面倒だから。涼しいから。