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日本で女に生まれるということ

女に生まれて後悔している。そんなことを言うと「男だって生きづらい」と反論がありそうなものだが、とにかく私が女であることに嫌気が差しているのは本当のことだ。

どんなに小さな子どもであっても女が常に「性の対象」として見られながら生きていることを、多くの男性たちは知らないかもしれない。保育園や幼稚園のお昼寝の時間になると、布団の中に男の子が入ってきてパンツの中に手を入れられたり、性器をいじられたりする。信じられないような話だが、実際にこうした被害に遭ったことのある女性は多く存在していて、大人になった今でも心に傷を負っている。助けを求めたくても、大人は「子どものすることだから」と被害を重く受け止めず、被害者に我慢を強いてきた。

小さな女の子を性的対象として見ているのは男児だけではない。保育士や教師のほか、街中を歩いている無関係の成人男性の中にも、加害の機会を伺っている人間は常に存在する。小学生の頃からだったか、一人で街を歩くようになると、知らない男性に声をかけられたり、後をつけられたりすることが度々起こるようになった。盗撮をされたり、「おじさんと遊ぼう」と言って腕を引っ張られ、家に連れ込まれそうになったこともあった。成人して10年以上経った今でも、駅から自宅に帰ろうとしているときに後をつけられて、まっすぐ家に帰れないことがたまにある。その度にコンビニに避難して知り合いに迎えにきてもらうよう連絡をしたり、タクシーを拾って帰宅せざるを得ないので、本当に迷惑を被っている。もし男性に生まれていれば、こんな煩わしい思いはしなくて済んだのだろう。

しつこいナンパを断るときにも、気を遣わなくてはならない。相手の機嫌を損ねてしまうと怒鳴られるのはよくあることだし、最悪の場合、殴られたりすることもある。悪いのは相手なのに、なぜ自分が名前も知らない相手の機嫌を取らないといけないのか、と腹が立つ。それでも、身を守るためには相手を怒らせないようなんとか断らなければならない。「ナンパされたことを自慢している」と思われるかもしれないが、ナンパされたことを誇りに思っている女性などほとんどいないと思う。多くの女性にとってナンパなど、急いでいるのに行く手を阻まれ、しつこく付きまとわれ、おまけに相手を怒らせないように細心の注意を払いながらお断りをしなくてはならない理不尽なイベントであり、ただの迷惑行為でしかないのだから。

社会に出てから、厄介なことは度々起こった。新卒で入った会社では女は「花嫁候補」として男性社員たちから品定めされ、ヤレるかヤレないか、付き合えるか付き合えないかといった基準で勝手に値踏みされた。飲み会では接待要員として男性上司の隣に座らされ、お酌を強要されたり料理の取り分けをさせられたこともある。それだけならまだしも、体に触れられたり、セクハラを笑って受け流すことを期待され、文句を言えば「空気が読めない」と叱られ、男性の先輩から呼び出されて「上司の機嫌を損ねないでほしい」と「お願い」される。女だというだけで性的な接待をさせられる風潮がいまだに残っていることに、辟易してしまった。

そんなことまでさせられるのに、女だというだけで、出世をさせてもらえないこともある。「女は結婚、出産があるから」という大義名分で今も多くの会社で女が重要なポストに就くことを許されず、対外的には「能力のある人を優先して出世させたら役職が男性ばかりになりました」ということになっている。医学部を受験した女性の点数が不正に操作され、男性受験者が有利に合格できるようになっていたこの国では、「男は論理的、女は感情的だから」という根拠のない言説を本気で信じている人たちによって、女はばかだと軽んじられ、社会の中で爪弾きにされている現状が今尚ある。

バーテンダーをしていた頃、客の男性から性的暴行を受けたことがある。女性がバーで働いているというとガールズバーを想像されがちだが、私が働いていたのは男性も働くことができる、いわゆる「普通のバー」だった。客として来店した男が私を気に入ったことを察したオーナーは、「気を遣って」私が知らないうちに、密室に私とその男だけを残して帰ってしまった。男はある業界で権力のある立場であったから、その業界にもつながりのあるオーナーからすれば、絶対に機嫌をとっておきたい相手だったのである。つまり私は、その男に「献上」されたのだ。オーナーの「許可」が出ていることで、男は脇目も振らず私に性的な関係を迫った。「やめてくれ」と必死で懇願しても聞いてくれず、男は抵抗する私の手に強く噛み付いて、それ以上抵抗ができないようにした。恐怖で体は動かなくなり、ただただ時間が過ぎるのを待つほかなかった。自分が女であることを呪った。生まれてこなければよかったとさえ思った。

後日、オーナーに「どうして私を残して帰ったのか」と問うと、悪びれもせず「カッコ良かったからいいじゃん」と言ってのけた。この人は、そもそも私を人間として見ていないのだと思った。私は客の機嫌取りのためにやすやすと献上され、当然のように消費されたのだ。あの日私の身に起こったことは、彼らにとって、ただそれだけのことだったのだ。

妊娠・出産に関しても、現状の日本の構造では女性が大きく負担を強いられる形になっている。望まない妊娠をした場合、父親である男性の許可がなければ中絶を選択することができない。出産は命を懸けて女性が行わなければならないものなのに、出産するかどうかを選ぶことが本人だけではできないのだ。その妊娠が例え、同意のない性交によるものであったり、男性が避妊をしてくれなかったことによるものであっても、事実上、中絶手術のためには原則男性の同意書が必要であるのが現状だ。

父親である男性に連絡がつかないうちに中絶可能期間が過ぎてしまい、中絶ができなくなるケースもある。そうなった場合、女性は一人でその子どもを産み育てなくてはならない。費用も工面できず、誰にも相談ができなかった女性が一人で出産をし、追い込まれて子どもを遺棄する事件は後を絶たないが、父親である男性が逮捕されることはない。中絶には同意書が必要であるのに、男性がその責任を放棄してもお咎めはなく、産まざるを得なかった女性は最後までその責任を負わされるのだから、なんと不平等だろうと思う。
これからもし子どもを産むことになって、女の子が生まれたら。そう考えて、絶望することがある。私の身にこれまで降りかかったようなことが、娘の身にも起こったら、と考えると、とてもじゃないが前向きな気持ちにはなれない。今の日本に生きていると、子どもを守りきるにも限界があると感じる。24時間つきっきりで守ることはできないのに、子どもは四六時中、無差別で性的な視線に晒されることを私は経験則から知っている。子どもの頃に受けた被害が、今でも夢に出る。男性の視線が怖いと思う。男性から好かれても嫌われても、何かしらの危険が付きまとう。早く、私から女性性が消えればいいのにと思い続けて生きている。

ここに書き連ねたことは、あくまで私がこれまで生きてきて感じた主観に過ぎない。けれども私は、日本に女として生まれたことを後悔している。

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