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みんなの夢にはきっと動機になる経験がある。

こんにちは!ばんびです!
3月になり徐々に暖かく(暑く?)なってきましたね🌸
と同時に花粉が大暴れしていて
耳鼻科でもらった薬が手放せません🤧

前回もまた重ーい内容になってしまったかもしれませんが、今回もそうかもしれません笑

最近、なんで「人生会議を伝えたい」ということを私がしたいと思っているのだろう?
と私自身疑問に思いました。

その答えは、ある勉強会に参加した時になんとなく見えたように思ったので、
お話ししてみたいと思います✨


死生観の勉強会で聞かれたこと

その勉強会の中で、
「亡くなった方に言われた言葉で、あなたが印象に残っている言葉はありますか?」
という質問がありました。

私は、患者さんを多くお看取りすることはありましたが、
自分の周りで…となると、身内では1人しかいませんでした。
他県に住んでいたおばあちゃんです。

でもその記憶を辿ると、
今の私の夢への行動の動機となるものがあることに気付いたのです。


他県に住むおばあちゃん

私は物心がついた頃から、
母方の祖父母と同居して、大家族でわいわいと暮らしてきました。

だから母方の祖父母とはタメ口でしゃべるし、
「家族」という感覚が強かったです。

一方父方の祖父母は2つくらい離れた県に住んでいたので、
1年に1〜2回、長期休みに泊まりで会いに行く程度でした。

それでも祖父母は私のことをとてもかわいがってくれて、
おばあちゃんは「初めての孫だったから生まれてくれてすごく嬉しかった」
とお手紙をくれたこともありました。

同居している祖母に比べて、少し距離を感じはするけど、
たくさん愛情を持ってくれていて、お上品でしゃんとしているおばあちゃんのことも
私は好きでした。


おばあちゃんとのお別れ

私が大学3年生になって、
いよいよ病院実習が本格化して来た頃、
おばあちゃんは腸閉塞という病気になってしまいました。

その少し前から認知症の診断がつき、
少しずつ認知機能の低下が見られて忘れっぽくなっていたことは、
話では聞いていました。

そんな中入院して、あれよあれよという間に体調は悪くなり、認知症も進行したと聞きます。

私も兄弟もそれぞれ忙しくなり、
私たちはしばらく会いに行けていませんでした。
なんで自分でお金を出して電車に乗ってでも会いに行かなかったのかと
今になって思います。

私たちが家族で車を走らせ、2つ隣の県の病院に着いたのは、
おばあちゃんの意識がなく、お話ができない状態になってからでした。

病院実習に向けて勉強を進めていた私は、
病室はこうなっているのか、おばあちゃんに投与されている点滴は何なのか
など、病室をきょろきょろ見ていた思い出があります。
今思えば大切なのはそんなことじゃないのに。

「反応がなくても耳は最後まで聞こえている」
というのはよく聞いたことがある話なので、
「ありがとう」と声をかけたり、
おばあちゃんが大人になった私に送ってくれた「安寿と厨子王(あんじゅとずしおう)」
という絵本を読んでみたりしました。

お話はできなかったけど、そのことを今でも覚えているということは、
そんな関わりを最期にできたことが、
私の胸のつっかえを少しでもなくしてくれているんだと思います。

つまり、私が最後におばあちゃんと話したのは元気だった頃で、
最期に会えたときは意識がなかったのでお話しできなかったのです。

では印象に残ったセリフは何かというと、
たぶんおじいちゃん伝いに聞いた
「家に帰りたい!家に帰りたい!」
という悲痛な願いのような、
入院中まだ意識があった頃におばあちゃんが叫んだ言葉でした。

それを私は直接聞いてはいませんが、
自分が見たかのように記憶として残っています。


今のわたしの原動力となるもの

「印象に残っている言葉」
というと、最期にかけてくれた温かい、または感動的な言葉をイメージしました。

でも今のわたしにはそれはなく、
代わりに認知症になって治療を受けるおばあちゃんの、家に帰りたいという願いが残っています。

当時は実習への気持ちでいっぱいいっぱいで
(看護学生にとっての実習は大変な試練なのです!)

このことを振り返れていませんでした。

でも今思うと、
少しでも医療の世界をかじっている身として、
たくさんお世話になって大切な身内のおばあちゃんの最期が
そんな悲しいような過ごし方だったことに、

「もっとわたしに何かできたのではないか」
と後悔をしていたのだと思います。

私は実習を終えて自分の看護師としての方向を考える中ですぐに、
「いつか訪問看護師として家で生活する方を支えたい」
と思いました。

それは在宅看護実習が楽しかった
というだけではなく、
おばあちゃんに何もしてあげられなかった後悔があるのかもしれないと
今思います。

そして、前回の記事でお話しした「人生会議を広めたい」
という今の夢


これも、この思い出から来ているのかもしれません。

夢というのは、
「社会のため、見えない誰かのため」
という動機付けからではあまり生まれないのではないかと思います。

気づいていない人もいるかもしれないけど、
みんな自分のこれまでの中の何かしらの経験や感情が原動力・きっかけに
なっているのではないかなと思います。

逆にひとつも「自分ごと」になっていない目標は、
そこまで強く貫けないのかもしれません。
少なくとも私はそうだと思います。

私は、なぜこれを達成したいのか
その理由を見つけられて本当に良かったと思いました😊

みなさんも、自分のやりたいこと、夢が
自分のどんな経験からきているのか、
整理してみるとさらに頑張れるかもしれません✨

そして私はこの思い出を文字にして振り返ったことで、
遺されて一人暮らしをしているおじいちゃん、
そして家族と元気に暮らしている母方のおじいちゃんおばあちゃん、
そして、私の両親・兄弟

大切な人たちに連絡を今晩とろう!元気かどうか声だけでも聞こう!と思いました✨

人生会議を広めるための
AC&LPという団体の運営グループに所属しています!
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そんなあなたの1日が今日も素敵な日となりますように☺️✨🐾

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