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8日目…稲葉根王子~滝尻王子③(終)(熊野街道/紀伊路)

日が沈む前に山道を脱出

舗装路の坂道を下っていきます。
山道の最後ら辺は、登らされたからな…

日吉神社。

国道311号まで下りて来ました。
北郡バス停で時間チェック。
まだまだ行けそう?
いや…ここまで来たらゴール(滝尻王子)まで行ってしまおうかと…バスも遅い時間までありそうなので。

国道を横断して吊り橋(北郡橋)を渡る。

画像だと明るく見えますが…実際は薄暗いです。

清姫の墓
歌舞伎や狂言で日本中にその名を知られるようになった、安珍・清姫物語の女主人公清姫の墓所がここにあります。大正時代までは、ここから300m上流の富田川右岸の森に墓所がありましたが、国道の拡幅等に伴い現在地に移されました。
清姫は夏になると、この春の下の渕で、丈なす黒髪をなびかせながら泳いでいたと伝えられ、いつ頃からか「清姫淵」と呼ばれるようになりました。
ここから600mほど北の所に、清姫と父、庄司清重が住んでいた庄司屋敷の跡が残っています。

現地説明板より

進んで行くと…清姫の墓。
安珍清姫伝説(Wikipedia)
画像からは薄暗いの伝わらないですね。
清姫の墓を過ぎてすぐに国道311号と合流。
[清姫]と言うバス停発見。時間チェック。
もう最後まで歩けそうですね。このまま国道を歩いて行くのもアリですが…左脇道へ…

寄り道…清姫生誕の地(真砂一族住居跡)うーん…暗いし山道行くのは…パス。
住居跡へは上らず。

翌日、気になって車で訪れた。
昨日は登らなかった山道を行くと…なぁ〜んだ畑か…😅

(伝)真砂一族住居跡
(伝)清姫生誕屋敷跡
この住居跡は、物部阿斗の姓から真砂姓に改名した2代目真砂清春が、 西暦800余年の頃、本宮大社より荘園主として遣わされ当地の国造りと神仏の勧請、住民の統率等を行ってきた場所と伝えられている。
しかし、長く続いた家系も、1585年頃に始まる豊臣秀吉の紀州攻略に本家の真砂一族(第31代目友家)並びに本陣に仕えていた家臣ら71名の討死により滅びたとの記録が残されている。
その後、生き残った第32代目の友定は、徳川家に仕えた後に越前にて三千 石を領すとの記録があり、本家は滅亡したものの、全国には枝分かれした分家が多くあり、真砂に由来する神社や地名も各地に存在している。
清姫は、この家系の第3代目清重の後妻との間に生まれた子で、927年8月23日、13歳にして没したと伝えられている。

現地説明板より

再び国道に合流して、ビュンビュン飛ばす車に怯えながら行くと…滝尻王子(ゴール)到着。

バスの時間チェック。
少し待つだけで来そうですね…三賀日だけど特別時刻表でもなく、無事にバスに乗れました!

滝尻王子を撮影

実際にフラッシュなしだと、この暗さですからね…真っ暗です。
これで、京都~大阪~和歌山熊野本宮大社まで踏破する事が出来ました。
(2022年1月)熊野街道完歩・熊野詣完歩

ここから熊野本宮大社までの続き(道のり)→【中辺路はコチラ
熊野古道紀伊路押印帳→【コチラ
コチラ】の地図を参考に歩きました。

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