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「繋ぐ」物語、『鬼滅の刃』は『スター・ウォーズ』だ


「『鬼滅の刃』が話題になっている」と耳にしてしばらく。
 地上波でTVアニメ一挙放送、さらに映画化の「あの流れ」があった。そこでとうとう、録画してアニメを見始めたのが僕の「キメツ入口」だったわけだが……実に面白い!
 そんなわけで今回は、熱いうちに『鬼滅の刃』を語ってしまおう。世間よりも、僕が熱いうちに。刀が赫いうちに。

 さて、キメツ。
 そこにあるのは個性的な「クセしかない」登場人物、複雑かと思えば感覚的に入ってくる多種多様の要素や設定、明治でもいいんじゃないかと思いつつ大正という独特の世界観。そして宿敵「鬼」の残虐性と人間性。
 特に「感覚的に入ってくる設定」が実に多く、たとえば序盤からして鬼化した禰󠄀豆子が義勇に竹をくわえさせられ、鬼化することを防ぐ。これを説明もないまま「牙が出ないから鬼にならないんだ。へーそーなんだー」と納得させてしまう。
 炭治郎は鼻が鋭く、善逸は耳が鋭く、伊之助は触覚が鋭い。そんなRPGみたいな設定も「そっかー鼻が利くから匂いでわかるんだー」と思わせてしまう。
 そうなったらもう最後。「稀血」なんかも「へーたぶんAB型のことだねー。実弥はもっと珍しいからRHマイナスなんだねー」と自己解釈し、疑問さえ抱かなくなる。
 これらは作品のスピード感や息もつかせぬ展開、そして独特の世界観がなせる技だ。それこそ「漫画だから」「少年誌だから」できる芸当。この作品が『ジャンプ』で発表されていたことも、実は必然だったのじゃないだろうか。古くは『キン肉マン』から『ドラゴンボール』のように「ウォーズマンは両手の爪とジャンプと回転でバッファローマンを超えるパワーを出せた!」とか「そうだ地球の神龍は同時に何人でも生き返らせることができるんだ!」とか、読んで設定を自分で納得して楽しんでいく漫画として。
 あ、ここで言っておこう。
 これ以後、登場人物は通名(作中で主に呼ばれている名前)とかで書きます。で、細かい説明もナシで、ほぼ「読んでいる前提で」書かせてもらいます。じゃないとこの文章が無限城みたいにどこまでも展開していっちゃうのよ~!

 では。
 以後、論じられているかも知れないけども、自分で感じたことや考えたことを列挙してみようか。

 まずは他の漫画から、そこに近似性を見出すのは簡単だろう。
 たとえば『るろうに剣心』の近代に向かう世界観。十本刀を思い出させるキャラの個性。喧嘩っ早いヤツとか女と見間違える美少年とか無感情の剣士とか念仏唱えるヤツがいるとか(わははははー)。
 古い例だが『キン肉マン』の友情パワー。『鬼滅』でもメイン男子3人の友情、義勇と炭治郎の師弟愛などがあり、決定的なのは炭治郎と禰󠄀豆子の「兄妹愛」。他にもきょうだいの愛は複数描かれており、この作品の「力を繋ぐ」重大要素のひとつになっている。
 個人個人が有する特技などは、ある意味『ジョジョの奇妙な冒険』における「スタンド」に近いものがある。キャラごとに設定され、特技込みでキャラを記憶できるのは似ていないか? 『魁!男塾』の富樫のごとくヒョイヒョイ生き返る『ジャンプ』漫画の中でも、両作ともに死んだらそれまで。決して生き返らない。
 地味に近似性が大きいのは『聖闘士星矢』。十二星座の黄金聖衣と上弦・下弦合わせて12体の鬼という設定とか。でもそれ以上に「最弱の戦士が強敵を打破し続けて最強になる」という設定こそが!
 ただし『ドラゴンボール』のように、敵が味方になることはない。鬼の仲間はいるものの、戦っていた敵鬼が味方になることは、一度も。その代わり鬼は人間の心を取り戻し、成仏していく。
 そう、鬼は成仏する。人間は死ぬ。両者とも決してよみがえらない。
 すぐ漫画にケチつけたがる方面からも「死に方が残虐」「少年誌とは思えない」と話題沸騰だったが、たしかにたしかに。力を合わせて敵に勝つという内容こそ『ジャンプ』だけど、殺傷描写は青年誌じゃないのか、というほどだった。あ、これって『北斗の拳』じゃないか?
……って、自分がその頃の読者なので古い喩えばかりで申し訳ないが、近年の『ジャンプ』作品にも何らかの近似性はあるのだろう。ましてや他誌をや。

 主軸のストーリーについてだが、漫画ではないが、実は『スター・ウォーズ』と同じだ。
 大きなミッションの中で、何かひとつだけでも欠けてしまうと、すべてが台なしになってしまう。その奇跡的でスペクタクルとも言える展開が、個人的には『スター・ウォーズ』と類似すると睨んでいる。だって『スター・ウォーズ』好きな僕の奥さんも夢中になっちゃったんだもの。
 作中、重要な「次へ繋ぐ」というワードが放たれる。それこそがこの作品の肝。たとえ仲間が死んでも意思や働きを繋ぐことで、すべては無駄にならない。すべてのことに、無意味なことなどない。『スター・ウォーズ』と同じである。しつこいようだが、これは誰もが見逃していると思うのでいっそ言い切ってしまおう。
 以上は何を言っているかというと、そういうさまざまな世代の要素を持ち込んでおり、実は「全世代が楽しめる」作品になっているということなのだよ!(どどーん ←波しぶきの音)

 そんなふうに、読み始める・見始めると止まらなくなるわけだが――最初の印象は、あまりよくなかった。あ、個人の話ね。
 単に「人気がある」という理由では一般層(←僕ね)は飛びつかないし、耳にしても「ふーん」で終わる。チラ見しても絵が雑ではないけど描き込みが散漫だったり逆に過剰にも見えた(←青年誌目線だったのかね)。
 しかし気になったきっかけは、これは多いかも知れないけど『アメトーーク!』でやっていた「『鬼滅の刃』芸人」。
 この番組を端に人気に火がつくものは意外と多いけど、僕(と奥さん)にとっては、それこそ『鬼滅』がそうだった。もともと人気があるものは敬遠がちで、でも人気が爆発すると気になるという典型的日本人なので(恥)。
 しかし「面白そうだなぁ」と思うも、まだ読むには至らなかった。けれどもこれがなければ、その後の「アニメで大爆発的人気」になっても背を向けていたかもしれない。おお、「繋ぐ」だ!(←自画自賛)
 で、決定打はやはり「アニメ全話一挙放送」だった。単行本で言うと6巻までなので、全体の1/3にもなっていないのだけども。
 世間は『鬼滅』に渦巻き、興味なき者を追い詰めて「キメハラ」とまで言わせるほどになった。映画は日本一興行記録を達成し、まだまだ伸びる。実は見てないんですが映画。いずれ間違いなく見るでしょう煉獄さーん!(うむ、よい心がけだ!)
 柱が全員勢揃いした「柱合会議」でさえ、はっきり言って「こりゃあすごいことになったぞ!」というワクワク感よりも「ヘンなヤツばっか。こんなイロモノだらけでいいんだろうか」とさえ思った。や、僕はですよ。でもきっと『るろうに剣心』の十本刀登場シーンでも同じことを思っていたんじゃないだろうか昔。実は。
 だから慣れるのは漫画やアニメ側ではなく、読者側(視聴者側)だった。受け手が自然と各設定を解釈して飲み込んでいくように、各キャラも理解していく。
 それこそ最初、飲み込めたのは前にも出ていた義勇としのぶだけだった。実弥は印象最悪だし、宇髄も派手派手うるせぇなぁ、と思っていた。しかし何だこいつはと思った煉獄さんは心の炎となり、イヤなヤツだと思った伊黒とウザいなぁと思った甘露寺はその後何度も僕の涙を呼んだ。無印象だった無一郎の印象はすばらしい勇者になり、「時代ものって必ず仏法僧いるよね」と思った悲鳴嶼は頼れる最強戦士に(※注:もともと僧侶ではありません)。話が展開するや否や、その設定や世界観に自分が取り込まれていくのがわかった。おかしいな、いつの間に障壁の血鬼術が解かれたんだ?
 アニメを見終わっても、よくあることだけど「……続きが見たい!」となった。人気爆発の映画に行きたくとも、1才児がいるので夫婦揃って出かけることはできない。以前『スター・ウォーズ エピソード9/スカイウォーカーの夜明け』公開でやったのだけど、ひとりは赤子を守ってひとりずつ行くしかない。ていうか世間は緊急事態宣言再発動でまたどうなるかもわからぬ。
 だもんで結果的に、原作22巻までを2回に分けてレンタルし(揃っていなかったし旧作でも3泊4日だった)、当時レンタルになかった最終23巻は購入した。もう買っちゃってもいいんじゃないかと思ったものの、全部を読んでまだまだ読みたかったら買うというケチなやり方で。ああすんません全ファンの皆様。この過去、もし僕が鬼になったら「買わなかった……あの時、なぜ……」と首飛ばされた死の際で浮かんでくるだろうな。
 よくある話だけど「先にアニメを見たら原作がつまらなくなる」ってあるじゃないですか。アニメはページめくらなくて済むし、見やすく・わかりやすく・楽しみやすく再構成されてるから。
 でも『鬼滅』はそうでもなかった。そりゃあアニメから入ったから頭の雛形が「動くもの」だったけど、でも同等のものに感じることができた。サイコロステーキ先輩(俗称)なんてアニメだと瞬殺で消えちゃうけど、漫画は読み返せるし。
 だもんで返却してしまった現在、また再読したくてたまらなくなってきた。ああ錆兎はそういう設定の人だったという視点で読み直したい!
 そんなふうに、アニメ続編がいつになるかわからないので、コミックを買った人(あるいは借りた人)も多かったのじゃないだろうか。って自分がそうだから思ってしまうのだが。だからそうした機運がとても良かったのも、ヒットを伸ばしている原因として一理ある。
 しかし現在「吉原遊郭編」を映画化する動きがあるようだが、あれは煉獄の話ほど派手じゃないからアニメにしてくれ(←途中から宇髄が乗り移った)。もしも再び映画化するのであれば「無限城編」を前後編にするのが得策ではないですか?(←今度はしのぶ)
 ついでに『吾峠呼世晴短編集』には「これが『鬼滅』に化けるとは思えない」つげ義春ばりにシュールな作風の「過狩り狩り」や、作風や展開などが『鬼滅』に通じる作品が収録されている。また作者監修による別の漫画家の作品『外伝』も思いのほか違和感がないので、あわせて読むと理解が深まるだろう。
……だからなおさら、また読みたいんですよ(←それらもレンタルで読んだ ←もう買っちゃえよ)。

 ところで。
 皆さん、気づいているでしょうか。
 実は炭治郎、気づけば数えるほどしか鬼と戦っていない。
 ザコ、兄弟子たちの仇、分身する異形の鬼、偽・十二鬼月2名、元・十二鬼月の下弦、現・十二鬼月の下弦。それでもう上弦との激闘に突入している……って、展開早くね? 『ドラクエ』なら「スライムベス → マンドリル → マドハンド×3体 → リビングデッド+あくましんかん → ハーゴン → バラモス」ぐらいのジャンピングですぜ。んでもうアレフガルドに入っちゃうぐらいの(←あ、煉獄さんの印象が強すぎて下限の壱を忘れてた)。
 その間に無数のザコや鬼の分身などとも戦ってるわけだけど、その確実に急激に強くなってくる相手のおかげで、急成長したわけだね。ってRPGでも追いつけない速度! いやむしろ、毎回死にかけて急成長するサイヤ人状態なのか。
 その度に「全集中の呼吸」「型」「日輪刀」「仲間の増員」「ヒノカミ神楽」「禰󠄀豆子の血鬼術」などなど、一気に強くなる要素が散りばめられているわけだけど、それにしても「『ファイナルファンタジー3』のワープ技」のごとき展開。
 だからコミックス23巻で終結したのは、めっさ駆け足だった。激烈な速度進行なので、見ているこっちが進んで理解しないと追いつかない。「ぐぬぬ……!」「くそぅ……!」で1話が終わる『ドラゴンボール』みたいなことはないのだよ。
 だからこそ「その都度、投げられた設定を読者/視聴者が自ら飲み込む」ということができるのだな。やっぱりそれって『スター・ウォーズ』!
 そして23巻で潔く終わったのも、好ましい。ある意味『スラムダンク』的と言える。おお。

 ところで、明石家さんまがTV番組でラストに言及し、ネットで波紋を呼んだらしい。
「おれは最後はちょっと納得してないんですよ」「最後は気に食わなかってんけどな。最後の巻はもっと炭治郎押しでええんとちゃうんか」「『これで終わりです』って言ってるけど、続ける気やなっていう感じでした」
 という発言らしいが……まず最後の「続ける気」はまずない、というのが一般読者の感想だと思う(わははははー)。まぁきっと、現代の後日譚を読んで「そこまでの話が展開できる」と思ったのでしょう。いやでもそれは、鬼のいなくなった世界だから飛んでるんですよ。ねぇ。
 で、さんまにとっては「主人公が一番強くなって、悪いヤツを撃破する」展開が好みと憶測されている。うむうむ、それこそが「基本的な『ジャンプ』漫画」ですもんね。まぁ言いたいことはわかる。
 しかし本作は「絆」の物語だ。炭治郎ひとりでは、決して鬼舞辻󠄀無惨は撃破できなかった。そこまで成長できなかった、というか、人間はそこまで成長できる生き物ではなかった。だから強さを求めて自ら鬼になった人間も多かったわけで。シマシマ武術とか侍とか雷の兄弟子とか。
 最後の最後は「それでも人間として、行きていくこと」を選んでいるわけですよ、人間・炭治郎は。なぜなら思いは必ず「次」へ「繋がる」。「永遠」に。ねぇお館様。
 それこそが本作のメイン・テーマじゃなかろうか。悪い鬼を倒してバンザーイ、は「それに気づくきっかけ」でしかない。
 だから「きょうだい」が多く登場するし、肉親やら師弟やらでも戦うし繋がるし、鬼のバックグラウンドも死に際に明かされる。そう、鬼さえも「次に繋がった」存在なのではないでしょうか(←人って言説に自信がなくなると相手の意思を巻き込もうとしてデアル調とかデスマス調になるよね)。
 そう考えると……やっぱり、いいラストだったんだなぁ。しみじみ。

 そんなことをつらつら思っていたわけだけども。
 似たようなことを考えていた人はいるだろうけど、さすがに『スター・ウォーズ』と比較された文章を見たことがないので、こうしてつらつらと文章を連ねてみました。
 ファン向けに書いてしまっているものの、これで気になった人はぜひ読んでみよう。レンタルでもいいから(笑)。
 熱心なファンの皆様には、ひとこと「勝手なこと言ってゴメン」と言っていこう。

 あと最後に、すっごいどうでもいいこと。
 ニュースとかで知った人って、たいがい間違えて『破滅の刃』って呼ぶよね。
 ね。

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