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【日記】地元を歩いて

今回の帰省は時間にゆとりがあったので、地元をゆっくり練り歩きました。
住んでいた頃は車や自転車での移動が主だったから、自分の足で歩いて回ったのは本当に久々だったような気がします。

小学校や中学校、最寄りの駅、河川敷、国道、グラウンドを巡り。(もっと時間があれば高校まで行きたかった。)
2~3時間くらいかけて、たくさん歩いたし、たくさんあの頃の自分と対話しました。

小学校の端っこの木々で遊んでたなーとか。
よく遊び来てたおもちゃ屋もう閉まってるなーとか。
この辺に◯◯が住んでたなーとか、よく△△の家集まったなーとか。
吹奏楽部の演奏で来た神社、今見るとめっちゃ小っさいなーとか。
この店、部活で営業まわりしたなーとか。
祭りで橋の下にみんなでたむろしてたなーとか。
今通り過ぎた車とか家とか、もしかしたら同級生のかもなーとか思ってみたり。

歩いて振り返って気付いたことが一つ。
大学時代に帰省した時には、大学生活が楽しかったからか、地元での嫌だったことを多く思い出して「地元時代=不幸」という感覚を持っていました。
しかし、大学を終えてその4年間も客観的に見れている今は、「地元は嫌なことばかりだと錯覚してたけど、案外楽しい思い出もあったみたいだな」と感じました。
概観だけで嫌な思い出にしていて。もちろん、辛いことやしんどいことは山ほどあって、当時の自分なりに苦労はしていたとは思う。けど、その合間にあった楽しさや幸せを端折ってうやむやにしていた気がします。

不遇の時代を乗り越えて、輝かしい今がある。そんな人生はサクセスストーリーとして上出来でとてもドラマチックなお話。

地元時代の自分を今一度冷静に振り返ってみたら、嫌なことやしんどいこともあったけど、楽しかったこともあるし、仲良くしてくれる友達もそれなりに居たという事実。
至極ありきたりで当たり前で、そりゃみんなそうだろっていう物語。
それが僕の等身大のドラマだった。

映画みたいな生まれ育ちや ドラマみたいな過去じゃなくても
華々しく照らしてくれ ありふれた生き様を

『サントラ』/ Creepy Nuts × 菅田将暉

もう「自分は不幸だった」とつまらない価値下げをするのはやめよう。
18年すべてを不遇と片付けるのは、悩みながらも生き続けたあの頃の自分と、あの日あの時に一緒に笑ってくれた友達に失礼である。



あの頃嫌いだったあいつとか、さほど話してなかったあの子とか。
どこで何してるんだろうなー、元気かな?とか。

歩いてたら何気なく成人式のことを思い出して。

大学2年生の終わり頃の自分はまだまだハスってたから、中学で仲良かった友達や高校の同級生としか喋らなかった。
もちろん、その人たちも卒業ぶりの再会だったし、話してくれる人が居るだけでも十分貴重で本当にありがたいことなんですが。でもそこで話してくれるような優しい方々は、きっと他の場面でも出会う機会はあるはずで。

成人式で本当に話すべきは、ここを逃したら話さないどころか今後の人生に2度と登場しないような人たちだったのかもしれない。もっとも相手側に話す気なんてさらさら無いかもしれないけど。
今なら、あの頃嫌いだったあいつとか、さほど話してなかったあの子とも、初心に帰って物腰柔らかに会話を楽しめる気がしている。

あー。25歳くらいでもう一回成人式のチャンスくれないかなー。

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