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自己紹介その4

なんやかんやのところから始めることにします。

小学校低学年~中学年の頃、母に3番目の子供が出来た。

1人で2人の子供と身重ではとても辛かったであろう。私も2番目も歳相応にやんちゃな子供であったし、なにしろ当時にしては高齢出産になるからだ。

当然のように私と2番目は母方の祖父母に預けられることとなった。

私は祖母に2番目は祖父に懐いていた。必然とし祖母の手伝いは私がしていた。

今でも時々思い出すことがある。

祖母と近所の養鶏場へ玉子を買いに田んぼの畦道を大きなザルを持ちトボトボと歩いていると畦道の幅と同じくらいのトグロを巻いたアオダイショウが足元に眠っていた。

びっくりした私はアオダイショウの前で立ち尽くしいると祖母はさっさと跨いで先を行く。

私が付いてきていないことに気づいて振り返り

早く跨いでこい

と私に言ってきた。

私の歩幅とアオダイショウのトグロ

ほぼ同じ

無理だよ、ばぁちゃん

今でも思う。無理だよと

だか当時の祖母は嫌がる私に執拗に跨いでこいとしつこく言ってくる。

跨ぐしかない。ちょうどアオダイショウの上辺りにわたしの足があってアオダイショウの眠りが覚めてしまったらと思うと怖くて絶対ムリだ。

そう、今思うと無茶なこと言われてるし

絶対ムリだ。

でも当時の私は一生分の勇気を振り絞って

自分の中で1番大きく跨いでみせた。

玉子を買いに行くために、、、

玉子ってアオダイショウの好物ではないのか?

帰りはどうするのだ???

跨いだ後の私の感想である。

だがもう進んでしまった。帰りも必ずこの道を通る。道は1本しかない。

人生とは生きるとは過酷だ

そう思うことがあるとき私はあの時のアオダイショウをいつも思い出してしまう。


駄文に付き合っていただきありがとうございました。

続きは高学年辺りから



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