怠け者のアリは存在する。

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1匹1匹が組織の全体のために動いている「真社会性昆虫」のアリ社会だって、怠け者とそうでないものが存在する。そして彼らはその「怠け者」をあえて許す方に(自然選択説に基づき)進化した。

ダーウィンの「自然選択説」に基づけば、真社会性昆虫の巣では、全員が否が応でも働き者になるはずです。もし、少しでも「怠け者」が出てくれば、ほかの巣とエサや住処をめぐる競争で負けてしまいます。だから「怠け者」の存在する余地なんて「理論上は」寸分もないことになります。(…)ところが怠け者にもちゃんと存在意義があったのです。この怠け者がいる巣から、働き者のアリを除去してみると、今まで怠けていたアリたちが働き者に変化して、せっせと働き出すことがわかったのです。どうやらこの「怠け者」たちは、労働量が不足する事態が発生したときに巣全体の労働量を補填するための予備軍らしいということがわかりました。もし、予備軍がなく、巣全体で100%の労働パフォーマンスを発揮し続けていたら、不測の事態が生じたときにパンクしてしまうことになるでしょう。

東洋経済 https://toyokeizai.net/articles/-/374615 

人間の私たちには「怠け者」に見えたかも知れないが、彼らは「予備軍」という彼らなりの役割があった。つまり、種の進化の妥当性は人間には評価できないのだ。少なくとも、自分と異なる存在に偏見を、または固定概念を持ってしまう人間にそれらの必要性を見逃してしまいがちだ。

人間社会においても、このような必要性の低評価は起こりがちである。余分のお金を持っている、または余分な暇をしているように見える人々も「人類」に迫る危機にはその資産を勿体がらず投資するはずだ。我々は「我」を持っている存在で、固定概念を持ってモノゴトを評価してしまう傾向があることを自覚し他者への偏見を振る舞うことを警戒するべきではないだろうか。

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