見出し画像

二度目の入院、手術で気づいたこと

かなりお久しぶりの投稿です。
お盆で強烈に父親のことを思い出し、そうだ!と
noteの事も思い出しました。しばし、おつきあいください。
-----------------------------------------------
最初の入院、手術は小学校6年生の終わりだったので
卒業式は2泊3日の外泊許可をもらって参加しました。
みんな壇上に上がって校長先生から卒業証書ももらうのに
私はギブスは取れてたけど、まだ階段など上がれないので
校長先生が私のとこまで来てくださり、手渡しでもらいました。
未だ、同窓会などで集まると、校長先生を動かしたヤツだと
同級生からイジられます(笑)
そして中学校の入学式までには間に合って退院し
無事に中学生になりました。
4月、5月スムーズに楽しく学校生活を送ってたけど、
何か違和感があり定期検診もあったので病院へ。
すると、成長期だったから骨を扱わず手術したけど、やはり戻りつつあったようで再度、夏休みに入院しましょう。となりました。
今度は骨を触ってしっかりするので、もう身長は伸びないかも・・・と
それはそれでショックだったのを覚えてます。
チビだったので、大きくなりたかったし〜
手術、痛いのイヤだな〜と思いつつ、
入院が少し楽しみだったのはナイショです。
だって、ちょっぴり入院生活が楽しかったし・・・

しかーし!!いざ入院すると子ども病棟ではなく一般病棟の6人部屋
12歳の子どもがおばちゃんたちと一緒の部屋で、会話も弾まず
まったく楽しくなかった〜
ひたすら、本を読んだり音楽を聴く毎日でした。
本来の入院生活ってそんなものだろうけど
それでも、毎日昼休みに来てくれる父親に会えるのは楽しみでした。
実は父親の職場が入院してる病院から車で5分程度の場所にあり
最初の入院の時も、ほぼ毎日来てくれてました。
口数少ない父親と何を話す事もないのですが嬉しかったです。
家から職場まで車で1時間ほど。
まーまー遠かったので母親は交通機関で来たら
乗り継いで2時間ぐらいかかるので毎日は無理だし、
帰りは父親が仕事を終えて一緒に帰ってました。

フッと気づくと私には2歳下(学年では3)の妹がいて
おばあちゃんが一緒に住んでたとはいえ、父も母も私のとこに
居た時は、寂しかっただろうな〜と後で思いました。
私は周りにたくさん、たくさん迷惑をかけた子どもでした。

だから、たくさん、たくさん恩返ししなくっちゃね


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?