ある大学野球部を応援した3年間<2>

2014年秋。地区制となり、決勝リーグに進めず敗退。

2015年春。リーグ再編で2部での戦い。大混戦の末、2部優勝。入れ替え戦を2連勝で制し、リーグ戦参戦4季目で1部昇格を決める。

2015年秋。初の1部での戦い。まったく手が出ないという印象はなかったものの、なかなか勝ち点を挙げることができず最下位。入れ替え戦にまわるも、2連勝で1部残留。とはいえ、笠原祥太郎選手はリーグの奪三振記録を塗り替えるなど、徐々に注目選手に。

エース誕生!と感じた瞬間

この秋、印象に残ったのは、1勝して迎えた入れ替え戦2回戦のあるシーンです。前日、完投し勝ち投手となっていた笠原選手が、1-0の9回に登板。2アウト走者なしの場面で、打ち取った当たりをショートがエラー。すると、ホントに間髪入れずに笠原選手が内野手に向かって「2アウト」のジェスチャー。ドラフト関連の記事では、笠原選手が高校通算2勝、ほぼ無名の選手だったということが書かれていると思いますが、そのような選手が大学野球の世界で開花。野球ではよく見られるシーンかもしれませんが、応援している観客をも安心させてしまうかのような落ちついたそのしぐさに「おぉ、なんと頼もしい!」としびれたのでした。笠原選手は次の打者を三振で打ち取り、試合終了。それはひとりの大学生の成長をまさに感じる瞬間であったし、「真のエース誕生」の瞬間を目撃した気がしました。

2016年春。いよいよ野球部1期生も最終学年。4年の春を最後に引退する1期生も多く、いま思うと少し早い新潟医療福祉大野球部最初の集大成のシーズンだったのかもしれません。3カード勝ち点を落とさず、迎えた上武戦。一時は「上武とやること」が1つの目標で、いざ対戦したら最初の試合は0-15でコールド負け、その次のシーズンも2連敗。そんなチームが、上武から3-2で初勝利。笠原選手の完投勝利でした。この上武とのカードで勝ち点を挙げれば優勝に近づいたのですが、その後連敗。平日行われた3回戦は観に行くことができなかったのですが、多くの選手が勝ち点を落とした敗戦に涙を流したとのこと。しかし、最終カードでは2勝1敗で初めて白鷗大から勝ち点を挙げます。結果、創部以来の最高成績となる2位でリーグ戦を終了。優勝を逃した悔しい記憶と手ごたえのある大きな勝利の感触が、きっと野球部の歴史に刻まれたことでしょう。

このシーズン、6勝、防御率0.72で最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得、ベストナインにも輝いた笠原選手は、もう押しも押されもしないドラフト有力指名候補選手となっていました。

最後は苦しいシーズン。そしてドラフト…!

2016年秋。野球を続けている1期生最後のシーズンは苦しいものとなりました。最初のカードは2連勝で勝ち点を挙げたものの、その後すべてのカードで勝ち点を落としてしまいます。明治神宮野球大会につながる横浜市長杯進出条件の「2位以内」という成績もかなわず、順位も5位と決定していた最終戦。そう、1期生最後の大学野球公式戦となる試合は「なんだかうまくいかない」という秋を象徴する厳しい試合で、0-12のコールド負け。しかし、この試合に先発した2年生の漆原投手が試合後にボロボロと流していた涙には「野球部の歴史の引き継ぎ」を見たような気がしたし、佐藤監督もこの極端な結末を1つの区切りにし、また1からチーム作りをし、再び選手とともに新たなストーリーを見せてくれるはずだ、きっと今日がそのための1敗になるんだ、という期待感が湧いてくるのでした。

4年生のある選手は「4年間、早かったです」と言っていました。また、他県から来た選手は「新潟に来てよかったです」と言っていました。早かったという4年間の本当の中身なんてわかりません。新潟に行くことを決意した過程、その後の1期生としての本当の苦労も知りません。でも、彼らの言葉は4年間のさまざまな出来事、さまざまな思いが想像できるとても重みのあるもので、彼らにしか絞りだせない言葉だと思いました。彼らの大学野球生活に思いを馳せると、そこそこの人生の先輩として肩をポンと叩いてねぎらいたい気持ちになったし、1円も仕送りなんてしていないのに「新潟に送り出してよかった」と思ったりするのでした。

苦しい秋でしたが、野球部にはうれしい出来事がありました。ドラフトで笠原祥太郎選手が中日ドラゴンズから4位指名されたのです。

これまでもアマチュア野球を見てきて、応援していた選手がドラフト候補といわれながら結局指名されなかったこともありました。笠原選手は、昨秋から今春の活躍で堂々たる「ドラフト候補」となってはいましたが、長い野球ファン歴でこれほどドキドキするドラフトはありませんでした。テレビから聞こえる「笠原祥太郎・新潟医療福祉大学」という響きに新鮮さを覚える間もなく、名前が呼ばれると「おぉーーー!」と大きな歓声を上げ、その後一気に脱力。笠原選手、野球部のみなさんありがとう。野球ファン球子、至福の瞬間でした。

感動は現場で発生している

新潟医療福祉大野球部の試合を観戦してきた3年間を振り返ると、野球選手でもほかのスポーツの選手でも最近はよく「感動を与えたい」というけれど、感動なんて生まれたばかりのひな鳥みたいに口開けて与えられるのを待っているだけじゃなくて、環境が許すならば、少しでも興味があるならば、自分から獲りにいったほうがよっぽど濃厚で極上の感動に出会えるということを実感した日々でもありました。選手のちょっとした成長、がっくりと肩を落とす生身の姿、汗や涙、学生ながらも何かを背負ってもがく様子…。感動はPCやスマホのなかじゃない、現場で発生しているんだー!という気持ちです。

1期生である4年生が口をそろえていう「これからも新潟医療福祉大野球部をよろしくお願いします」という言葉。えぇ、もちろん応援しますとも。今後の大学選手権、横浜市長杯、明治神宮野球大会の進出を願って、最後は神宮大会が行われる神宮球場で必ず流れるあの言葉で締めたいと思います。

新潟医療福祉大学硬式野球部フォーエバー!!

今回の内容を、野球部の当事者のみなさんが読むと「そんなつもりはなかった」と思ったり、違和感を覚えることがあるかもしれません。でも、この3年間で増えた我が家の車の走行距離に免じて「そんなふうに見えていたのか」と許していただければ幸いです。

<終わり>

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