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Kクラブに入団

3年生にあがるとマナブとは別々のクラスに配置され、徐々に疎遠になっていった。それでもマナブに教わった野球は、新しいクラスメイトと放課後に興じるネタとしては最高だった。
そんなときである。クラスメイトになったばかりのタツヤが私に声をかけてきた。
「野球部に入らないか?」
突然の誘いかけである。聞けばこの学校の学童野球Kクラブは3年生から入団できるらしく、タツヤはいちはやく入団したという。僕は少し武者震いを覚えながら放課後の練習を見学にいった。
「野球が好きなのか?」
見学中の私に監督が声をかけてきた。はっきりとは覚えてないが恰幅の良いおじさんだったと思う。少しモジモジしながら監督の面接をうけた。そして次の日曜日練習試合があるから観に来ないかと誘われた。朝4時とか5時といった集合時間だった。
帰って母親に相談した。「まあ、そんなに朝早く?とんでもない」という第一声だったが、夜に帰ってきた父親は、一緒に行ってやると乗り気だった。読売ジャイアンツファンで、幼い頃、自身も野球がしたかったが入部テストに落ちたため、プレイすることすら許されなかった父からすると、息子に幼い頃から野球をさせるというのは楽しみで仕方ないみたいだった。
日曜日、練習試合を観に行った際、監督から父への「入団交渉」が執り行われ、私は晴れてKクラブに籍を置くことになった。これが何ひとつ輝かしくない球歴のスタートである。1986年6月のことだ。

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