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入り口と出口

 おはこんばんちは!
どうもエロ界の赤影ことバーテンの貴さんです。

 今回は入り口と出口のことについて述べたいなと思います。残念ながらエロい話ではないです。所謂入力と出力の話です。巷ではよく「アウトプットが大事」などと言われているのですが出力が何なのかわからなくて悩んでいる人がとても多いんじゃないかなと思います。わかっている人は言語化できていなかったとしても自然とやり続けています。というか、悩んでいる人も気付いていないだけでやっています。そういうことを大きなテーマとして色々と述べていくので入力と出力、入り口と出口が何なのかということが少しでもわかるといいのではないかなと思います。それと今回は有料記事なのですがいつも言っている通り読んだだけでは意味がありません。実践しないと本当の理解はありえませんからその動機付けのためでもあり、僕がお金が大好きということからです。


1・わからなくなってしまった理由

 そもそもなぜこんなことで悩んでみたり、声高に「アウトプットが大事だ」と発信する人が増えたのでしょうか?出力ができない、苦手な人が増えたということなんだなという当たり前の答えが浮かぶと思います。「そんなことわかっているよと」という声が聞こえてきそうですが問題はわかっているのにできない、わかったふりで深堀することをしていないということです。そもそも、出力とはなんぞやというところから知るところから始めるといいのかもしれません。とはいえ、いつも言うように読んだだけで知識や言葉を知るだけではあまり意味がありません。逆に知識が無い、言葉を知らない、言語化できなくても実践している人の方がより理解しているといえます。なのでこれを読んだからといってどうなるかというよりも実践することが大事だということに気付けるとよいのではないかなと思います。

  なぜわからなくなってしまったのかというのは個人や家庭のレベルの話ではなく、社会全体のレベルの話です。つまりは現代病ともいえることであるということです。現代と昔での大きな違いというのは色々な面での技術向上により家事などの作業をしなくなり極端に体を使う機会が減ったことが大きな要因ではないかなと思います。

 ここでそもそもの入力と出力の話をしたいなと思います。入力というのは五感で得た情報が脳に伝わるということです。意識的にやることや意識的にしないとできないこともありますがほとんどは無意識に膨大な数の情報が入力されています。一方、出力は脳に入力された情報が元になって起こる行動です。つまりは体を使うということです。無意識からなる生理反応がほとんどを占め、意識的なことはわずかというのが現実です。しかし、出力が熱弁するほどのことも無いことがわかります。言葉を話したり、立ち上がり歩くこと、食べることも体を使っているので出力していることになります。そして入力と出力は切り離して考えることができないこともわかります。何か体を動かせばもちろんそれに対する情報が脳に入力されるからです。

 「~するべき」ことなんてないのですが、仕組みや理屈的に入ったら出る、入り口があれば出口があるというのが道理だという話です。そして現代の人間、特に都市に住んでいる人は極端に入力ばかりしているというこです。現代は情報過多なのでそれもこの入力過多な状態に拍車を掛けています。簡単に想像がつく話ですが入力ばかりしていてはいつかは飽和します。意識的な出力ももちろんですが無意識の出力もできなくなってきています。自律神経が壊れている人が多いのもこのことが大きな要因になっているのではないかなと思います。そこにマルトリートメント(不適切な養育)という飼われた状態等いろいろな条件が重なり人工的な発達障害ともいえる状態になっているのではないかなと感じます。それが所謂生きづらさを抱えた人やしんどさを感じている人の正体ではないでしょうか。

 出力は体を使うことだと述べました。出力ができなくなっていることは色々なところから知ることができます。でんぐり返りができない子供が増えているとか、転んだ時に受け身が取れずに顔面で着地してしまう子供が増えた等子供という視点だけで見ても多岐にわたります。大人はどうでしょうか、個人的にはもっと悲惨だなという感想です。そんな状態でいきなり社会に放り出されているから精神的にも壊れてしまう。もちろん所謂健常者と自称している人達が一方的に条件を押し付けて、それに適合しない人を障碍者にしている現状にも大きな問題がありますがそれ以上に人工的に発達を阻害する要因が大きく、多いのではないかなと思います。

 そして、商業的な思惑が生まれたり需要と供給が成り立てば声高にアウトプットが大事だという発信者が生まれる図式です。その発信者本人も上で述べたようなことは知らないことが多くそれはもうコントだなというのが正直な感想なのですが、それにより誤解が進むのは考え物だなとも考えています。僕はメサコンは卒業したので依頼が無ければアドバイスや相談に乗ることはしないのですが、それでももう少しマシになればもっと面白いのになとは思っています。 

 上でこの問題は社会レベルの話だと述べましたが、だからといって諦めることもありません。規模や要因が社会レベルなのであって改善は個人的にできるからです。もちろんはじめやしんどいときは他者を頼ればよい。しかし、そんなことすらできなくなっている。本来群れで生きてきた生き物なのにしていないと錯覚させてしまうほどに文明が進化したということです。よく自分は一人で生きていると勘違いしている人がいますが大きな勘違いです。それを見えにくくしている社会にも責任はありますが、そこまで人間が傲慢になってしまったということです。

 わからなくなってしまった本当の理由は多岐にわたり個別に掘り下げなければわかりません。もちろん一人一人が個別なのでどんなことでもいえることなのですが、この入力と出力の不均衡は複雑かつ深刻な問題だと感じています。知らぬが仏で悩んでいない人はそれで結構です、というよりその方がより理解している可能性が高いのは上でも述べました。入り口と出口という簡単な道理を肌で感じれるかどうかは実践するかどうかです。これはこれからもしつこく述べていくんだろうなと思うので「ああ、貴さんがまた言うてはるわ」くらいに眺めておいてください。


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