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京都へ行こう.2

今回も京都へ来ましたので、少しですが訪問先についてご紹介をさせてもらいたいと思います。

・聴竹居
設計者:藤井厚二
竣工1928年(昭和3年)

撮影した写真に関しては許可を得られれば載せることも出来るとのことですが、私の写真でイメージが変わってしまうことを避けたいため、載せず文章のみでお届けします。
なお、下記HPにて写真ギャラリーがあります。
こちらをご覧になり、見てみたいと思って頂ければと思います。

聴竹居

聴竹居は、設計者の藤井厚二自邸になります。
個人の自邸としては大きく、非常に眺望の良い立地あります。
酒造家・金融業を営んでいた豪商[くろがねや]として知られていた藤井家は経済的・文化的にも豊かな環境であったようです。
その次男にあたる藤井厚二は、当主で実兄の多大な支援を受け、実験住宅を広い敷地に続けていきました。
その最後にして5回目に建築されたのが聴竹居です。
時代はまだ大正から昭和に変わったばかりの近代化もまだまだな頃です。
しかし、建物はどちらかと言えば洋式生活の中に和式を散りばめた印象の設を多く見られる空間となっていました。
それでいながら、伝統的な大工仕事により構成されているやり取りが、不思議な魅力を醸し出します。

今回見学出来たのは、和室以外のところではありましたが、建物内のメイン部分を見学出来ました。
玄関・居間・客室・食事室・縁側・読書室・調理室が見学対象となります。
全体の間取りは、居間を介して各部屋にアプローチ出来る計画となっており、客室のみ玄関から直接アプローチが出来ます。
古い日本建築であれば、廊下を介して奥に客間となる配置が多く見受けられます。
しかし、聴竹居では玄関すぐに客間があることで、パブリックとプライベートを明確に空間として分けることを意識していると言えるでしょう。
客人にプライベートな空間を通って欲しくないのか、遠くまで案内することを失礼と考えたのかは謎です。
しかし案内の方による説明に答えがあったように思います。
客間はいわゆる日本家屋から考えると狭く、かなりコンパクトにまとめられています。
しかし、決して簡易に造られたものでないことも明らかでした。
客間全体が床間・床脇・書院を分解して再構成したかのようなプランとなっています。
そして畳はなく椅子とテーブルが置かれています。
説明では夫人の来客が多く、着付けをした女性が来た際に座りやすい形状とした椅子を配置しています。
天井は網代と板張り?天井となっており、床間の下がり壁にも一部板張りがされており、そこに三角形の造作照明が設置されています。
全てが独特な感性で構成されており、客間としての設えがありながらも近代的な生活様式の採用や人間行動学を取り入れたような造作と違和感があるほどの遊び心が混在した空間でした。
ここから考察すると、これまでの日本文化を再構成することで、空間を変容させるとともに、女性に対する配慮を積極的に取り入れることで、新しい日本家屋の構築を試みたと考えることも出来ます。

居間は直接外部と接する面が極端に少なく建物内側に配置されていることが変わっており、外部に開く窓は小さいものが一箇所しかありません。
しかし、縁側・客室・読書室・食事室と接しており、それらの部屋に対して開放出来ることや、ガラス窓を多用することで視覚的には外部まで視線が通るデザインとなっており、照度はやや暗めの落ち着いた居間ではあるものの 、外部まで関係がある開放的な印象を持ちました。
置き家具が少なく、作り付け家具を窓・開口部以外の壁際に設置することで余計なものがないため、視線も動線も遮るものが非常に少なくすることも開放感に寄与していると思います。
さらに食事室と居間の境をR開口とし、さらに縦格子が少しだけ施してあったり、居間から見える縁側の窓も腰高までは不透明の窓、それより上で背丈くらいまでは透明ガラス、さらに上は磨りガラスと壁として、細かく切り替えを行うことで見たい景色を明らかに操作しており、心地よさを追求したデザインが非常に印象的でした。

各窓を開放すれば家全体の風通しが良く、さらに窓を開放出来なくても、床に通気孔も設けてあることで、京都の夏の蒸し暑さに対して配慮された機能を持っています。
ちなみに各所の照明はほとんど造作照明となっているのですが、食事室の照明も例外ではなく、そこには東西南北を表す矢印のようなデザインがあります。
特にこの時代がそうなのかもしれませんが、方位についてかなり意識をしていることは間違いなく、風の流れ、日の入り方など自然への配慮とともに仏教や神道などの宗教的な感覚からも方位を気にする姿勢が見て取れます。

全体を通してのディテールに関しては、各所で統一感があり、例えば間柱の面取りと窓格子の面取りを施して部材の厚みを大きく見せないような工夫がされており、たくさんある窓配置も含めて、非常に軽快さのある意匠としています。
さらに各所に使われている部材は、だいぶ年季が入っているのでわかりづらいかもしれませんが、かなり良い材料を取り揃えており、ほとんど柾目で揃えています。
説明の中では、建物の狂いが少ないことを大工の技術に注目されていましたが、私はその目利きに驚きました。
大工が選んだかはわかりませんが、材料調達に大工が苦労したエピソードもあったことからおそらく大工が選定したのでしょう。
ここまで良い材料を選んで実施したことに徹底したこだわりを感じました。

見学をしてのまとめですが、当時でも現代でもこのような住宅を建築出来たのは、財力と教養がなす業であり、どちらか欠けても実現はしません。
さらに実験住宅の一環で、5回目の試みでこのような優れた建築が出来たことも事実です。
程度はありますが、ここからわかるように優れた建築家であっても満足するまでに5回も建築しなければいけなかったのです。
ましては建築家でもない方が一度で満足いく建築が出来るかというと、とても難しいことでしょう。
しかし、先人たちの失敗と成功を現代に引き継ぐことで、より良い住環境を提供することが今の建築に携わる人たちの役割であると考えます。
シンプルに気持ちが良い空間として見学に行くのも良いですが、むしろプロとしてこの空間構成を肌で感じることをおすすめ致します。

9月以降に、今回は見ることが出来なかった各和室も見学出来るそうなので、また改めて訪問し勉強させてもらえればと思います。
予約制ではありますが、皆さんも機会があれば是非一見の価値がありますので、お立ち寄りください。

では、また。

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