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建築という通過点

こんにちは。

建築と聞くと、おそらく多くの方は専門性の高いジャンルだと思う方がいらっしゃると思います。
実際クライアントと対話する際に、わからないことへの説明や提案などを行うことが頻繁にあるため知識を持ち合わせていないと対応は難しくなるでしょう。
しかし、仕事で10年以上建築に携わってきた私の立場から申し上げれば、実務において専門性の高い知識というのはそれほど必要ではありません。
おそらく本当に必要な能力というのは別であると思います。

私自身、大学在学中から建築学科を経てそのまま建築の仕事に就きました。
在学中にはもちろん建築のいろはを学んでおりましたが、当時は建築というジャンルの範囲の広さに戸惑ったことを記憶しています。
物理力学、人間行動学、流体力学、意匠デザイン、歴史と挙げれば多くの学問を使いこなさなくてはならず、それらを把握しながら建築物に昇華するには卓越した能力が必要だと感じました。
そしてこのように考えると、建築はあらゆる学問の集合体であると言えます。
極端な話にはなりましたが、実務においてもそれらの知識を理解することは大切です。

しかし、では建築とは簡潔に言うと何かという疑問も生じます。
多くの一般の方から言えば、建築とは住まいなどの生活をする空間を造る分野だと思います。
建築を仕事にするということは生活空間を造るプロであるということです。
空間を作るためには、多種の知識を理解し、それらを合理的に整理する必要があります。
ただし、多種の知識とは建築的な知識でないことの方が多くなります。
例えば、流体力学について理解する必要があると述べましたが、実際に厳密な流体力学を計算することはほぼありません。
※場合によってはあります。
また、熱をどのように取得したり、遮断したりするかを方法としては知っていますが、正確にその熱量の推移を知っているわけではありません。
知らないばかりか、実験すらしたことありません。
さらに意匠デザインでは、デッサンなどの訓練や過去の建築物などの分析などを行いますが、建築のジャンルに限定されており、現在・過去のプロダクトデザインに精通しているわけでもなく、人間科学を嗜んだわけでもありません。
こう聞くと、建築特有の専門的な知識はそれほどなく、他分野の知見を借りて組み合わせてるに過ぎません。
なので、何かを解析して新たな発見をすることもありませんし、社会を変えてしまうような革新的な技術を持ち合わせたプロダクトを産むこともありません。
悲観的な内容となりましたが、これが私の思う建築となります。

それでは、建築は大した分野でもなく不要かと言うと絶対に必要だと考えます。
なぜなら、それらの知識の組み合わせが難しいからです。
そもそも他分野の知識を借りただけとも言いましたが、そこに辿り着かない方々が多くいらっしゃいます。
知識を得るのは意外と大変な作業です。
それを他分野と組み合わせるいうのはさらに大変になります。
これまで建築に関連するいくつか記事を書いてきましたが、はっきり言ってほとんどの内容が中学生でも理解出来ることでしょう。
ひとつひとつ説明すれば、なんだそんなことかと言われても良い内容ですが、どのように生活に応用するかと言えばわからなくなることが多く、それを実行するのが建築です。
多くの知識、つまりは他分野の知識を横断して、場合分けをしながら最適解を模索する、さらにその影響を集約し経験則としての知見を蓄積した上で、原因を分析しその応用を構築していくことがが建築という分野で実務をするのに必要な能力だと思います。
なので、建築には専門性の高い知識は多く必要ありません。
また、建築の実務において最終的に提供するサービスはクライアントにとっては通過点でしかありません。
しかし、通過点の先に起こりうる未来を目標としなければ通過点自体を設定出来ません。
未来をどのように描くか、その未来となるために必要な通過点はどこか、通過点としての建築を構成するために必要な知識は何か、この道筋を明らかにするのが建築の仕事だと思います。

今後建築に携わろうという方は、何か特別な知識よりも広い知見を、クライアントとして建築に触れるだろう方は、細かいスペックを気にする前に理想の未来が何かをイメージすることから始めてもらい、通過点を具現化してもらえればと思います。

では、また。

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