見出し画像

批判にさらされるエスペシフィズモ

英訳原文:https://blackrosefed.org/especifismo-before-its-critics/(西語原文はこちら
英訳掲載日:2024年7月22日(西語原文は2024年7月4日)
著者:SrgHkBk(CNT闘士)、英訳はカメロン゠パドライ(Cameron Pádraig)


ここに、最近復活したスペインのアナキズム゠ジャーナル『レヘネラシオン゠リベルタリア』に2024年7月7日に掲載された記事を紹介する。このジャーナルは自らを「イベリア半島に適合する革命的アナキズム傾向、具体的にはエスペシフィズモの潮流のポータル」と表現している。

元々の理論的テクストがスペイン語で書かれていたにもかかわらず、エスペシフィズモのアナキズム戦略はごく最近になってスペインとカタルーニャのアナキズムに影響を与え始めた。この地では、歴史的に、CNTCGTのようなアナルコサンジカリスト労働組合を通じて運動が表現されてきた。この文脈が本稿に関係してくる。CNT闘士である筆者が、組織的二元論へのエスペシフィズモのコミットメントと、労働組合以外の政治組織を不要と見なす革命的サンジカリズムの見解との緊張関係を扱おうとしているからだ。

最近になってイベリア半島へエスペシフィズモが導入されているのは、EmbatLiZAといった組織の活動によるところが大きい。その闘士達はスペイン・カタルーニャ・ポルトガルで記事を書き、社会闘争に参加し、セミナーを開催している。

欧州の同志達がこれらの思想を取り上げ、議論し、自国の情況に適合させようとしているのを見ると、私達は勇気付けられる。

スペイン語原文の記事は、「El especifismo ante sus críticos」である。明確にするために翻訳の過程で若干の変更を加えた。(原註:邦訳に際しスペイン語原文も参照したが、異同が多々見られたため、英訳原文に沿って訳出した。)

英訳はカメロン゠パドライによる。


エスペシフィスタ゠アナキズムは、リバータリアン社会主義の旗の下で理論的・戦略的・戦術的組織(一つのプログラムで結び付いている)の必要性を提唱している。これは「アナキストに特化した」組織であり、だから<b>エスペシフィズモ(特定主義)</b>という言葉が使われている。これは社会的アナキズムと組織的アナキズムの共通点が合流する場であり、その目的は社会運動や「大衆組織」に影響を与えることである。このように、エスペシフィズモは「組織的二元論」を受け入れている。アナキスト組織は様々な民衆闘争を志向しなければ意味がないからだ。この特定組織は、社会紛争の浮き沈みや政治的サイクルの渦中でも一貫性を提供できる革命の種子を社会運動の中に植えることを目的にしている。

エスペシフィズモの批判の大半は、エスペシフィズモは「参入主義」や前衛主義を助長しているとか、社会運動を独自の目的で操作しようとする少数派を創り出そうとしていると非難する。私達もこうした疑念は真っ当なものだと理解している。ただ、真摯に本当に懸念しているから疑念が生じているとすれば、この疑念はこの戦略の本質を完全に理解されていないから生じているのだと私達は思う。

エスペシフィスタ゠アナキズムは民衆権力という考えを提唱している。この概念は、社会革命をもたらすのは組織された大衆自身だけだと主張している。それは、こうした民衆階級が社会革命の主人公であり、主体でなければならないという断固たる信念に基づいている。民衆権力の提唱者は、社会闘争は民衆階級が自主管理しなければならないという原則を誓約している。こうした闘争では、幅広く大多数の人々が能動的に参加する民主的意思決定機構に基づいた民衆構造が構築されねばならない。エスペシフィズモの具体的実践とは、こうした大衆組織と釈迦運動を本物の学習と民衆参加の場にすることである。

従って、私達エスペシフィスタが本当に自分達の原則に忠実であれば、私達が創り出そうとする特徴を持った社会運動を実効支配しようとするのは理に適っていない。それ以上に、この特定組織は組織それ自体が目的ではない。言い換えれば、エスペシフィズモは、永続的な前衛党の成長にではなく、逆に、社会革命の地平に向けた大衆運動の構築と方向付けに関わっている。エスペシフィズモは、前衛主義テーゼを拒絶し、その代わりに、リバータリアン共産主義闘士は、民衆闘争に身を置き、民衆の上や「陰から」行動するのではなく、民衆と肩を並べて抵抗しなければならないと断言する。

誰もがアナキストではなく、実際、アナキズム自体の中でさえ、政治的行動について一般的コンセンサスはない。特定組織は、共有された戦略・危機的情況の分析・訓練が不可欠だと認識する私達の団結の場である。私達は、自分達が社会主義の伝統の後継者だと自認し、だからこそ、共同で考える方が良いと理解している。私達は「アナキスト」個人主義を否定する。これはここ数十年の自由主義的逸脱だと確信している。

民衆権力の考えに戻れば、エスペシフィスタ゠アナキズムの目的の多くは、具体的実践(プラクシス)を通じて、参加型民主主義の大衆組織と社会運動を構築するというものである。その任務の一つは、こうした大衆運動の中で他の政治グループと組織の存在を明らかにし、その戦略を理解し、時には対決することである。こうした大衆運動における私達の目的は、参加者に自己組織化と行動のためのツールを身に付けさせることにある。私達は、こうした大衆運動が制度的・前衛主義的諸傾向に吸収されたり、不活性化させられたり、統制されたりしないよう防ぐことを目指している。つまり、エスペシフィズモは吸収や参入主義の対極にあるものを求めている。その代わり、人民大衆を自らの意思と解放への願望の下で、組織し、急進化させようとしているのである。

アナキズムの基本原則の一つは、「予示」へのコミットメントである。組織と戦術のあり方は、求める未来社会を正確に反映していなければならないと仮定される。このコミットメントが、私達の組織形態・行動様式・戦闘的倫理規範を貫いている。いかなる場合でも、私達は手段と目的の区別を認めていない。私達は、私達が展開する戦術には意味があると信じており、現代社会に特有の諸悪を密輸する新世界を築きたいとは思っていない。だからこそ、エスペシフィズモには明確な倫理規範がある。私達の意図を伝達する際の透明性・明瞭性・誠実さが最も重要である。参入主義や吸収の戦略は、通常、非倫理的策略を特徴としている。例えば、外部から組織された少数派の作業部会による統制や、公式・非公式的な権力の掌握、意図を隠す曖昧な言葉の使用である。こうした要素は前衛主義、官僚主義知識人エリートが指導する未来の階級社会を生み出す革命戦略を反映している。エスペシフィスタ゠アナキストは、こうした取り決めに対する解毒剤は、連合主義と社会化された生産管理という枠組みを通じた社会への多数の人々の民衆参加であると見なしている。私達は、こうした社会組織様式が、特権的少数派や知識人に容易く乗っ取られない広範な制度性を生み出すと主張する。

さて、革命的サンジカリズムに目を転じると、特定アナキスト組織の存在に関してこの文脈で極めて理解できる議論がある。これは、革命的サンジカリズム内部でシンジケート(革命的労働組合)が政治組織と大衆組織を統合する構造だと理解されていることから生じている。この構想では、完全な共産主義が出現するまでシンジケートが社会の管理者として国家に置き換わる。私達はこの政治的コミットメントと戦略を公式に支持する。だが、私達は、これが特定アナキスト組織の存在を維持することと矛盾しているとは思っていない。特定アナキスト組織は、戦略的一貫性を確立し、闘争経験を共有し、労働組合の枠を超えて理論的議論をするためにアナルコサンジカリスト闘士が集まる場なのである。

革命的サンジカリズムは、労働組合で構成される労働者階級の民衆的実体化である。問題は、多くの場合、青年闘士をアナルコサンジカリズムに惹き付けるのが難しい点にある。青年達は自分達に関係する場をアナルコサンジカリズムに見いだせないからだ。理論的未熟さ・物質的情況・組合活動が示唆する要求など様々な要因がこの難しさを引き起こしている。私達は、アナキスト組織は、将来のアナルコサンジカリスト闘士を形成・育成し、分析的・戦略的・戦術的活動を効果的に行う能力を身に付けさせる場になり得ると主張する。前述したように、多くの政治的指向を失った人々にとっての政治学校として機能する場になり得るのだ。

木々と森を混同しかねない情況で、アナキストの政治組織はより広い風景を調査するために登ることのできる山でなければならない。様々な大衆運動に確固たる革命的基盤を生み出し、大衆運動を相互に結び付け、現実的で訓練された闘士達でアナルコサンジカリズムを活性化する場でなければならない。私達は疑念を抱く理由があることを理解している。そうした組織的議論を歓迎する。それらは、長年の理論的停滞・セクト主義・無秩序・純粋に審美的な活動主義の後で、リバータリアンの空間が息を吹き返しつつあると示している。今後の課題はなおもかなり大きいが、それに劣らず刺激的である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?