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コミュナリズム:解放的代案(7)

社会的自由

歴史を振り返れば、社会のために私達が達成できることには、ますます大きな可能性があると分かる。現在と未来に存在する潜在的可能性を見るためには、過去の人々が自由の理念をどのように拡大してきたのか知ることが重要である。コミュナリズムが示す自由の概念は、本質的に二つ要素、積極的自由と消極的自由から成る。自由には、搾取からの自由と、人間として自分が持つ個人的可能性を実現するための自由がある。従って、自由を十全に実現するために、生態調和社会は、経済的・倫理的・性的といったあらゆる搾取に反対しなければならない。生態調和社会は、人の苦難を最小限にし、誰もが創造的可能性を実現できるよう希求しなければならない。(原註24)

社会的危機・生態系危機の克服には、個性の再生を含まねばならない。現代の個人主義は、社会的義務からの自由と定義され、競争と利己主義を促す疎外的な自我観念である。(原註25)逆に、コミュナリズムの主張では、包括的で成熟した自己は、身近な地域社会へ権能を持って参加し、地域社会の成員と協力関係を結ぶことで初めて生じる。直接参加は、自分が関わる社会的出来事の洞察とその出来事に対する一定の制御力をその人に与える。また、直接参加は、私達の相互依存関係を明らかにし、連帯を求める社会的欲求を充足させる。さらに、参加は、自分の技能と経験をもっと大きな集団と共有できるようにする公的空間を個々人に与える。相違を認めて称賛することがより強力な団結を導くと社会が認識すると共に、多様性の新たな理解が出現するだろう。(原註26)究極的に、社会は、マレイ゠ブクチンが述べたように「社会と共同体の福利についての合理的、人道的、そして高潔な見解によって導かれる」タイプの自我を支持しなければならない。(原註27)

権能を持った個々人からなる社会には、同時に、搾取的市場からの自由と、倫理に基づいた経済に参加するための自由がなければならない。コミュナリズムは、「脱希少性」(欲望充足)社会を確立するための技術的障害は全くないと主張する。今日、資本主義は物品の人工的希少性を創り出し、同時に、マスメディアを利用して私達の精神に人工的欲望を作り出している。際限なき欲望という考えを破棄し、万人と環境の福祉の増進に注力する。このように替えることで欲望充足社会は可能になる。モノが溢れている状態は、創造的・文化的潜在能力を引き出すという目的を念頭に、個人の欲望が意識的に満たされる生活に替わるだろう。例を挙げれば、現代のテクノロジーは、万人に充分な物品を生産しつつ、人間の苦役を減らす可能性を持っているのだ。だからと言って、禁欲的自制生活しろと述べているのではない。逆である。市場が誘導する大量消費主義を除去すれば、進歩的テクノロジーを使って、倫理的社会文脈の中で個々人の審美的・知的・感覚的願望を実現する物質的基盤を提供できるようになるだろう。(原註28)

社会的自由をもっと十全に理解するために、正義と自由の概念を区別しておこう。正義は、万人を一様なものとして扱うことで平等を達成しようとし、その人の貢献に応じて見返りを与える。しかし、個々人は、病弱・障がい・高齢といった多くの理由で異なっている。正義は不用意に不平等を創り出してしまう。貢献に見返りをしても、個人の欲望を補償できないからだ。逆に、自由は、個人の困窮や苦しみを気遣う倫理に基づかねばならず、そうした苦難を除去しようと努めるはずである。だから、本物の自由は、不平等を認識し補償することで、平等を創り出すのである。(原註29)

コミュナリズムは、個人の主観的経験、そして、思慮深く行動する能力を重視する。配慮と協力の倫理を通じて個人の潜在能力を全て実現するよう関わることが、支配そのものを廃絶する基盤となる。私達の解放には、私達自身の精神の再構築が含まれねばならない。相違をピラミッド型に階層化する見解は生態調和的見解に取って代わられる。そして、個々人の相違は人生経験全体の芳醇化・美化に貢献するものとして奨励され、称賛されるのである。(原註30)

この社会的文脈が、抑圧のない社会を生み出すだろう。白人至上主義はなくなり、有色の人々と白人とは、同一で共通の社会的権力を持つ。民族的・文化的多様性は残るべきだが、別々な「人種」という概念はなくなる。伝統的なジェンダー役割は、もはや男女にとって普通ではなくなり、自分の関心と強みに応じて、それぞれの行動と役割を自由に選ぶ。人は、道徳的懲罰や政治的干渉抜きに、自由に自分のジェンダー゠アイデンティティと性的関係を選ぶ権能を与えられる。誰もが必要に応じて供与されれば、階級主義と経済的地位は生じ得なくなる。能力的障がいのある人たちも差別されなくなり、可能な限り、その情熱を実現できるよう供与される。子供の主観的体験は重んじられ、父権主義的支配も改められ、親は成人期に向けて子供の発達を促すようになる。そして、何と言っても、人々の主観的体験を強調することで、レイプや肉体的・心理的・性的虐待に積極的に反対する文化がもたらされるだろう。

原註24.The Ecology of Freedom - p.218-219, 351-352

原註25.Toward an Ecological Society - p.147, 253
・The Ecology of Freedom - p.418, 433

原註26.Toward an Ecological Society - p.47, 187
・The Ecology of Freedom - p.168, 413
・The Politics of Social Ecology - p.83-86

原註27.Remaking Society - p.120(「エコロジーと社会」、藤堂麻里子・戸田清・萩原なつ子 共訳、白水社、1996年、159ページ)

原註28.Post-Scarcity Anarchism - p.10-11, 134-136
・Toward an Ecological Society - p.25, 36-37
・The Ecology of Freedom - p.136-140

原註29.Toward an Ecological Society - p.64-65
・The Ecology of Freedom - p.73-75
・Remaking Society - p.96-100(「エコロジーと社会」、125~132ページ)

原註30.Post-Scarcity Anarchism - p.82
・Toward an Ecological Society - p.60
・The Ecology of Freedom - p.397-401

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