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証券界から見たバブル史「実録・金融バブル秘史」

「実録・バブル金融秘史」恩田饒著・河出書房新社2023年1月発行

著者は1934年生まれ、大和証券常務、証券団体協議会常任委員長を経て、KOBE証券社長。退任後は日経コラム「大機小機」の執筆を担当した。

本書は、1980年代後半のバブル発生から現在までの失われた30年の日本経済に対し、証券業界から見た金融史。但し「秘史」と言うほどのものではない。

銀行出身者やエコノミストによるバブル史の本は数多くある。証券業界の裏側を描いたバブル史は珍しく、証券元MOF坦による金融体験は興味深い。

双子の赤字の米国は、強い米国、強いドルを放棄した。それが1985年のプラザ合意である。日本のバブルはここから始まった。先進5か国はドル高を是正、協調政策で為替レート安定化を図った。

日本は1986年12月にすでに景気底入れ、回復基調に向かったにも関わらず、公定歩合引き下げを継続した。1987年10月19日NYのブラックマンデー発生で、金融緩和を維持した結果である。そして1990年のバブル崩壊を迎えた。

1996年、四大証券による損失補填、損失処理「飛ばし」問題、更に総会屋利益供与事件の大蔵省証券局との折衝内容、損失処理での各証券会社の違いが、最後、証券会社の存続を決定づけた。

即ち、野村證券は、営業特金ファンドを顧客に引き取ってもらった。日興、大和証券2社は、損失部分は補填し、残りを顧客に引き取ってもらった。唯一山一證券は、ひたすら処理を引き延ばし、株価の回復を待った。この結果が山一の自主廃業である。

1997年、山一證券の自主廃業、証券会社のMOF坦(大蔵省折衝担当者)の動き、大蔵省証券局長の判断など、証券業界の人間関係には興味が魅かれる。

とりわけ目新しい視点があるわけでは無い。バブル発生までの金融自由化、効率化の動き、バブル崩壊以後の様々な経済事件を総括的に振り返る意味で有効な本である。

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