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清水一行が描いた戦後日本「兜町の男」

「兜町の男・清水一行と日本経済の80年」黒木亮著・毎日新聞出版2022年12月発行

著者は1957年生まれ、銀行、証券、商社を経て、2000年大型シンジケートローンを巡る攻防を描いた「トップ・レフト」で作家デビュー、「巨大投資銀行」「法服の王国」などの著書がある。

本書は、国際金融作家・黒木亮が企業経済作家・清水一行の生涯を描いたノンフィクション。日本経済80年とあるように、戦後日本の混乱期からバブル崩壊までの経済史と清水一行の生き様を描く。

清水一行は昭和6年、隅田川沿いの「玉の井」と呼ばれる花街で生まれた。父親は大工上がりで、娼家(銘酒屋)を経営していた。

戦後の混乱期、清水は早稲田大学に通いながら、青年共産同盟に参画、共産党の産別労組会議で働く。共産主義革命のロマンに破れ、大学を中退、株式相場の雑誌ライターとなる。

昭和41年、日興証券元営業部長・斎藤博司を描いた「小説兜町」で作家デビュー。同じ年に「買占め」「東証第二部」と発表、昭和43年に総会屋・芳賀竜生を描いた「虚業集団」で一気に流行作家となる。

豊橋育ちで「ぼくらの7日間戦争」のライトノベルの旗手・宗田理も清水一行スタッフの一員だった。清水の推理小説「動脈列島」は宗田のアイデアと言われる。

企業モノ、経済作家としては、松本清張、梶山李之、城山三郎らが有名である。「赤いダイヤ」の梶山李之は昭和50年、香港で急死した。45歳だった。
清水も梶山と同様に多くのスタッフを雇い、経済事件を調査、取材して小説化した。資本主義の企業社会暗部を、男女の絡みも入れて描く。

一方、清水より3歳年上の城山三郎は、愛知学芸大学経済学講師出身、一人、孤高の取材手法で、企業組織と人物の明るい面を描く社会派である。松本清張の流れに近いリベラルである。

二人を比較すると面白い。作品数は、城山は118作品、清水は214作品と倍近い。城山は戦争批判など権力批判をする。

清水は資本主義的金儲小説から推理小説、官能小説まで手広い。全盛期の昭和46年~昭和60年頃は、毎年10作品近く刊行した。

城山は平成19年、肺炎で死亡。清水は平成22年、糖尿病、心臓病併発の老衰で死亡。二人とも79歳だった。城山のお別れの会は、政界、財界から750名が集まった。一方、清水は死亡を公表せず、家族のみの密葬である。

しかし二人とも生前から言っていたことは「文士の勲章は野垂死」だった。小説手法、生き方は違っても、文士の気概は同じである。

清水は最後まで、「アカハタ」の購読を続けていた。革命へのロマン、共産主義の夢は破れて、資本主義の企業作家になっても、夢は断ち切れなかった。

清水は晩年、書きたい小説にショーロホフの「静かなドン」を挙げた。城山と違って、政治性を表に出さなかったが、革命の矛盾、被抑圧民の抵抗を追い求めていた。

「玉の井」で働く女性はお客の話し相手となるため、新聞を必死で読んだと言う。清水は抑圧された民から生まれた作家である。

著者・黒木亮も国際金融の残酷さを感じながらも、国際金融、資本主義のロマンに、清水と同じような共感を抱いたのかもしれない。


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