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「大学教授こそこそ日記」

「大学教授こそこそ日記・当年62歳、学生諸君、そろそろ私語はやめてください」・多井学著・三五館シンシャ2023年12月発行

著者は1961年生まれ、日米の大学卒業後、カナダで大学院修士取得。銀行勤務後、短大非常勤講師からスタート、現在は関西の大学の現役教授。定年まであと5年半。もう何も怖くないが、身元がバレるのが少し心配という。

著者は、29歳でS短期大学非常勤講師として4年勤務、公募でT国立大学常勤教員、助教授となり5年間。関西の大学教員に転職、教授となり24年勤務する。専門は政治学、国際関係論である。

本書は「汗と涙のドキュメント日記シリーズ」の最新本。「末は博士か、大臣か」と人が羨む大学教授の現実を示す。内部告発ほどでもない。怒りと悲哀と笑いの記録。興味深く読ませて頂いた。

著者は言う。「大学教授とは、いくらでも手抜きができる仕事。正規教員になれば、ちょっとやそこらでは辞めさせられない。なぜなら教職組合が強いから」と。しかしそこには人には言えない苦労がある。それは読んでのお楽しみ。

地方の国立大学に赴任した際にお世話になった教授に聞かれた。「君はニッキョウじゃないよね」と。
赴任後に明らかになる。そのT大学の所属学部は、日本共産党(ニッキョウ・日共)系教授と、それに属さない、ないしは反対する教授との深刻な対立があった。著者はノンポリである。

田舎の短大から、地方とはいえ、偏差値60近くの国立大学に転職。「地の底から天国への階段を登ったようだった」と。給与も研究費も増えたと喜び、やっと小学校教員の妻とも結婚できた。

T国立大学では、週4コマ(90分授業を週4回・通年)を担当する。講義科目1つ、ゼミ3つの4コマ。助教、講師は3コマ、准教授は4コマ、教授は5コマが基本。35歳で助教授に就任。年収は700万円くらいだったらしい。

大学教授の出世は、学長、学部長の名誉職より「ドクターマル合教授」になることという。長の付く職を目指す人もいるが、任期が終われば、普通の教授である。

「ドクターマル合教授」とは、博士後期課程の指導教授(主査)、博士号を付与する権限を有する教授である。マル合教授になれば、博士号の弟子を多く育て、大物教授と言われる。

教授までなった著者は、58歳のとき、4歳年下の妻を数年の闘病生活の末に、ガンで失う。右肩上がりの人生だが、ここで自身の体調も崩して、精神科に通う状態となる。

著者は言う。30・40歳代のように、研究に燃えるという感じはもうない。運転免許はあるが、自動車は4年前に売却した。それ以来、電動機付きママチャリが通勤の足。うまいものを食べたいとか、どこかへ行きたいとか、良い服を着たいとか、高いモノを持ちたいという欲求もない。

「好きな本が読め、ビールが飲め、マイペースで研究と教育ができれば、それで十分。妻の記憶とともに、残りの教員生活を精一杯、まっとうしたい」と。なるほどと共感する。大学教授の仕事が身近に感じる本である。


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