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孝明天皇は毒殺されたのか?

「孝明天皇毒殺説の真相に迫る」中村彰彦著・中央公論新社2023年8月発行

著者は1949年生まれ、東北大学文学部卒、文藝春秋に入社、その後に作家に専念。直木賞受賞。

中村彰彦氏は孝明天皇毒殺説の第一人者維新史専門家・石井孝氏に東北大学で師事した関係で、毒殺説を従来より主張する作家である。

この本で中村氏は毒殺の実行犯を特定した。その犯人は孝明天皇の身の回りの世話をする女性たち、典侍、掌侍、命婦の18人の中の一人と特定する。彼女らは天皇の服、膳、湯の世話をし、女官の監督をする。

著者中村氏は、この中でも内廷を統括し、女官のトップとなる大典侍・中山績子(イサコ)72歳と断定する。

中山績子は中山愛親の娘である。中山愛親は明治天皇の実母中山慶子の父中山忠能の曽祖父に当たり、孝明天皇が最も信頼した女官である。

その黒幕は岩倉具視(当時、蟄居中)である。岩倉は元女官で妹の堀川紀子(当時は宮廷を離れ、霊鑑寺の庵主)を通じて、中山績子によって孝明天皇にヒ素を飲ませ、毒殺したと主張する。

確かに孝明天皇は討幕過激派、長州を毛嫌いし、敵対した。更に徹底した攘夷論者であり、倒幕で政権を把握した後に、外国と条約を結ばざるを得ないと考えていた倒幕勢力にはたんこぶの上の存在であった。

孝明天皇が存命であったならば、討幕軍のニセの勅命も発布できなかっただろう。まだ若き明治天皇が居たがゆえに倒幕も可能となり、慶喜も大政奉還をせざるを得ない状態となった。

中山績子があえて孝明天皇を毒殺する根拠、理由が若干弱いと思える。著者は、績子の祖父が孝明天皇によって左遷、排除されたこと、績子の反幕府思想をその理由に挙げる。それだけの理由ではあまりにも弱すぎるのではないだろうか?

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