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バンカーの時代は終わったのか?

「堕ちたバンカー・國重惇史の告白」児玉博著・小学館2021年2月発行

著者は1959年生まれ、フリーランスのノンフィクション作家、「堤清二・罪と業・最後の告白」で大宅壮一ノンフクション賞を受賞した。

國重惇史は住友銀行取締役、29歳で企画部部長代理に抜擢「伝説のMOF担」として活躍する。「國重の前に國重なし、國重の後に國重なし」と言われた。1985年、40歳で企画部次長に異動、平和相互銀行問題に関わる。

平和相互銀行問題とは1979年、創業者の小宮山英蔵氏死去後、小宮山家の内部抗争から出発、創業者長男・小宮山英一氏と平和相互銀行経営陣(いわゆる四人組)との経営権争いに発展する。

創業家英一氏は敗北する。銀行経営からの資産差し押さえに対抗、英一氏は1984年5月、平和相互銀行株式33.5%を川崎定徳・社長佐藤茂氏に売却した。佐藤氏の株式取得資金を融資したのが商社・イトマン。イトマンのバックが住友銀行の磯田一郎会長である。

住友銀行は数年前の1978年、関西相互銀行の吸収合併で全国銀行第二位の地位を目指す。情報が事前に漏れ、失敗した経緯がある。

平和相互銀行合併失敗は許されず、大蔵省、日銀、政治家あらゆる方面から取り組む。この合併に暗躍したのが、企画部次長・國重惇史と住友銀行の政治部長と言われる取締役・松下武義である。

当時の竹下登大蔵大臣と秘書・青木伊平、山口光秀大蔵次官、三重野日銀総裁、平和相互銀行監査役・伊坂重昭、社長・稲井田隆、金屏風購入事件の八重洲画廊・真部俊生、東京地検特捜などの動きを國重惇史のメモに基づき詳細に記述する。

メモの連続で説明不足もあり、分かりにくい点も多くある。メガバンク住友銀行が大蔵、日銀を巻き込み、官僚、政治家を利用し、政治的に動き、平和相互銀行四人組辞任、1986年2月の合併合意への流れは圧巻である。

國重惇史氏は、2016年発行「住友銀行秘史」の著者として有名である。イトマン事件を日経新聞記者の大塚将司氏とタッグを組み、事件化する。

当時、住友銀行業務渉外部付き部長。自分は表に出ず、イトマン社員名の告発文を大蔵省土田正顕銀行局長に送付、イトマンを会社更生法申請寸前まで追い込む。大蔵省の意向によって直前で取り止める。

その後、住友銀行取締役になるも、磯田会長の女性秘書との不倫が原因で巽外夫頭取によって、関連会社に左遷される。

住友銀行退職、楽天証券社長から楽天の副会長になる。女性問題で楽天を退社。リミックポイントの社長になるも、またも女性問題で退職、離婚で家族からも見捨てられる。

現在76歳、難病・進行性核上性麻痺(パーキンソン病の一種)で入院、車いす生活である。一つの時代を作った銀行員であることは事実である。

國重惇史を最後まで守ったのは、ラストバンカー・不良債権と寝た男・西川善文である。彼も2020年9月、82歳で死去。「イトマンの件は地獄まで持って行く」と言い残した。

イトマン事件は住友銀行から3,000億円以上の金が闇の世界に流れた。今だ謎の多い事件、裏の世界の人間が表の世界に堂々と踊り出た事件である。

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