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「天路の旅人」密偵・ラマ僧の記録

「天路の旅人」沢木耕太郎著・新潮社2022年10月発行

著者は1947年生まれ、「テロルの決算」「キャパの十字架」「深夜特急」等著書のルポライター。本書で読売文学賞随筆・紀行賞を受賞した。

本書は「深夜特急」同様の長編紀行である。主人公は西川一三。彼は大使館調査員の肩書で、モンゴル人・ラマ僧に扮して中国西北部からチベットまで中国最深部の調査に向かった「密偵」である。

出発したのは昭和18年、日中戦争真っ盛りの頃。満州内蒙古から中国青海省・西寧を経て、チベットの都市「ラサ」にたどり着く。平均高度4,500mの山岳地帯、距離1,900キロを徒歩で行く死を賭けた旅である。

チベットのラサで終戦の噂を聞き、インドのカルカッタに向かい、日本の敗戦を知る。密偵の目的を失った彼は、ラマ僧として放浪を生きる決断をする。その後、チベットでラマ僧の修行を経て、ネパール、インドを放浪する。

昭和24年(1949年)10月、同じく密偵だった木村肥佐生がインドで自ら出頭し、逮捕された。その取調で西川の存在も判明し、西川も逮捕された。

当時、西川はインドからビルマに向かうため、インド鉄道の人夫仕事をしていた。しかし木村と一緒にインド・カルカッタより日本へ強制帰還、昭和25年(1950年)6月、神戸に到着した。

木村肥佐生は帰国後、1976年まで駐日米国大使館に勤務、昭和33年(1958年)「チベット潜行10年」を発行する。その後、大学教授を経て、平成元年(1989年)病死、行年67歳だった。

西川は戦後、旅の記録『秘境西域八年の潜行』に書き、木村より3年遅れて、1972年に著書を発行した。

1988年11月、TBSテレビ・ドキュメンタリー番組「日曜特集・新世界紀行」で『スゴイ日本人がいた!遥かなる秘境西域6000キロ大探険』で放送され、話題となった。

その後は東北の片隅・岩手で一商店主として生きた。正月以外は毎日9時から5時まで働き、帰りには居酒屋で銚子二本の酒をたのしむ、判で押したような日々を生き、平成20年(2008年)行年89歳の人生を全うした。

「天路の旅人」はその西川の旅を沢木自身の筆で辿り直す。西川という「希有な旅人」の人生を沢木が考えるという手法で、西川一三が蘇生する。

本書は、単なる紀行文ではなく、無国籍の旅人「西川一三」と知識人インテリジェンス「木村肥佐生」の生き方を対比した人物論でもある。

そんな生き方を、沢木はこう看破する。「西川は、多くを求めることなく、ただ旅を生きた。同じように、岩手の地でも、多くを求めることなく、ただ日々を生きることを望んだ」と。

仏教の実践は、「人身得難し、今已に受く」(三帰依文)「自分がこうやって今人間として生まれて生きているというのは、例外的な幸運なのだ、ということに気づくことから始まる」と教える。

密教要素の強いチベット仏教(ラマ教)も、ラマと呼ばれる師僧、特に化身ラマを崇拝し、人間が生きることを重視した。その教えは「戒律=倫理道徳規範」「集中力=心の安定」「智慧=人生の目的・真実」この三つを学ぶ。

西川は、無我無私の精神と人生の真実を求める生き方を続ける。その後も名もない一人の旅人として生きた。彼はその意味で最後まで「ラマ僧」だったかもしれない。

本書は紀行ルポと言うより人生論、生き方論としても、興味深い本である。
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内蒙古からチベット7000キロの旅 序章 - 地球へめぐり紀行 (hatenablog.com)

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