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ヒモ生活をするバンドマン「入門山頭火」

「入門山頭火」町田康著・春陽堂書店2023年12月発行

著者は1962年大阪府生まれの作家。2000年「きれぎれ」で芥川賞、詩集「土間の四十八滝」で萩原朔太郎賞、「告白」で谷崎潤一郎賞を受賞。

本書は「山頭火・行乞記」「山頭火全句集」を参考に、ユニークな町田康節的「山頭火論」である。山口県実家で幼い頃の母の自殺、家業酒造業の破産、弟・二郎の自殺、妻・サキノとの離婚など、生への苦悩で放浪する。戻る場もなく、別れた妻を頼る山頭火。

泥酔で熊本市電を急停車させた後、熊本・報恩寺で出家得度、尾崎放哉病没した大正15年4月7日の三日後の10日に「解くすべもない惑ひ」を背負って、行乞流転の旅に出る。

阿蘇から宮崎県高千穂越えの途中、山頭火は「分け入っても分け入っても青い山」と詠む。惑いとは何か?何を振り切ろうとしたのか?そして振り切れたのか?本書は問う。

著者は山頭火を「ヒモ生活をするバンドマン」に例える。苦悩の中でもバンド仲間、「層雲」の同人、自由律句の好事家の支援を受けて、行乞の放浪旅を続ける。

放浪の途中「まっすぐな道でさみしい」「どうしようもないわたしが歩いている」と詠む。自己の道を求めながら、目的地もなく、ひとりでいることも堪えられないさびしさに苦悩する山頭火。

最期は歩くことも嫌になる。だからと言って、世間並みの一般人にもなり切れない。酒と睡眠薬に依存、自殺未遂を図るも失敗。本気で死ぬ気もない。死と生の境界を彷徨う自己願望だろうか?

「酔うてこほろぎと寝てゐたよ」と詠む。

放浪の末、昭和15年10月10日夜、松山市の「一草庵」で句会後、酒を飲み急変、翌日朝4時ごろ死亡。57歳の人生である。49歳の時、詠んだ句。「うしろ姿のしぐれてゆくか」満足の人生だっただろうか?

尾崎放哉は静の俳人、山頭火は動の俳人と言う。共に酒に依存し、苦悩の人生を過ごした。自己を求めた結果かもしれない。どう評価するのか?俳句の知識のない私にはわからない。

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