生と死と向き合う

気になっている真逆のニュース。
※この記事は2020年7月頃のものを再編集しています


一つはイケメン俳優さんの自殺のニュースが世間で騒がれている最中、今度は医師2名による殺害事件として安楽死のニュースが世間を騒がせています。


生と死。

真逆のように感じるこのテーマは全然真逆でもなんでもなく、命というテーマなんだよね。


死んじゃダメ❗という意見と、尊厳死という意見。一体何が違うのか?と考えて見えてきたのは他人の悪意と寿命。


私が自分が嫌いで毎日死を願っていたとき、死んじゃダメだ、寿命、天寿を全うしろという言葉に絶望してきたけど、乗り越えた今だからこそ、そう言う人の気持ちもわかるのです。死んじゃダメという言葉では誰も救えないのもわかるし、難しいけれど。


体が健康で心が病むと死にたくなるし、心が健康でも体が病むと心も次第に弱ってくるんです。心と体もやっぱり切ってもきれないのですから。


私は尊厳死は有り派です。闘病をしている人を例えば身内等で目の当たりにし、その人が死にたいと連呼するのをいつも聞いていれば、反対派の人も揺らぐと思います。それは当事者の死にたい側の立場で考えるからです。


一方、残される側に立てば、まだ一緒に過ごせたかもしれない時間を、本人の意思で奪われるように感じたり、当然のように心に傷を負う事もあります。反対するのも当たり前でしょう。愛していればなおさらです。


自殺も同じです。他人の悪意に晒され、生きにくさを感じ、これ以上耐えられない、他人の悪意に晒されるくらいならという極論では尊厳死とも言えると思います。

オススメはしませんが。


では、尊厳死とはなんなのでしょう?

それは多くの人がその死を納得できるかどうかなのだろうと思います。大抵の場合、まだやれること、できる事があるのに、それを視野が狭くなっているがゆえにせず、短絡的に死を選ぶ事があるからです。


大抵の安楽死が認められている国では、医師2名以上の今の技術では無理という証明書が必要であったり、大きな苦痛を伴うなど本当にしょうがない場合に限り認められているんです。


自殺の場合、本当にしょうがない場合であることは少ないです。相談やカウンセリング、受診や時に悪意を持った人達との刑事、民事での裁判などできることがいっぱいあるんです。


そうして大事なのは、私達は善意にしろ、悪意にしろ、意見をのべた時、それを言われた人がどう捉えられるかわからないという事。そうして、死を願う当事者ではないという事。

すなわち、他人だから言えるのです。その他人事は時に心を救う事もあります。時に絶望に陥れることもあります。現に私は死にたい時に言われた死んじゃダメに絶望してきたのですから。


死なない人間などいません。いつか死にます。この文を読んでいて、100年後に生きてる人はほぼ居ないでしょう。だから、死を願う人に言います。焦んなよ、どうせ死ぬんだから、やりたいことやってからでも遅くない!って。


現代の医療ではできることが何も無くて、やりたいこともその病んだ体で全部やって、もう思い残す事はないと思ったら、それでいいと思います。きっと安楽死を選ぶと周囲はとめるでしょう。でも辛いのはあなただし、一世一代のわがままを、最後の大きなわがままを言う権利だってあると思うんです。


心を病んでいても同じです。もうどうせ死ぬんだと決めているのなら、最後のわがままでおもいっきりやりたいことをしたらいいんです。散々自分が病むほど周囲に迷惑かけられてきたのなら、最後に周りを振り回してやりたい事やったらいいんです。暴飲暴食だってどうせ死ぬんだから関係無い、旅行も遊びも行ったらいい、借金してもどうせ死ぬのだから遺産で返せばいいし。怨みがあるなら、裁判して苦渋を飲ませてやればいい。それで、やっぱりまだ生きていたいと思ったら、またもう死にたいと思うまで、思う存分生きたらいいんです。


現在の日本は安楽死が法的に認められていません。

でも昔から日本人は有終の美という概念があり、きっと世界のどこよりも、尊厳死を大事にしてきた民族だと思います。そうして、物語の羅生門にもあるように、尊厳死と同じくらい生にも執着してきました。


それは、肉体の死が全てではない事、肉体があるからこそできることが有ること、そのどちらもきちんと知っていたからだと思います。


死と向き合うという事は、生きることに向き合う事。

生きることに向き合う事は、死と向き合う事。


もし、あなたが大魔法使いでなんでも魔法で叶えられたら何がしたい??なんの制約も必要有りません。お金も時間も肉体すらも魔法で叶えられたら何がしたい??

それを実現する為に、勇気と努力さえあれば、実行するのは自分で思うよりは意外と簡単です。助けを求めることができないとか、こんなことは頼めないとか、休んだら迷惑がかかるとか、そんな風にストップをかけているのは自分であることの方が多いのですから。少なくとも過去に前例があるのなら、それはできるということです。


死ぬ前にやったらいいんです。もういいやっていうくらい堪能したらいいんです。そうやってやりたいことを叶えるために生きていれば寿命なんてあっという間に尽きちゃうものですから。


大事なのはやりたいことを見つけることです。なんにもないのは嘘です。大抵の場合は言い訳して諦めているだけなのですから。例えば、言いたいこと全部いった?言い返されるとかそういうのが怖いなら手紙にすればいいと思います。読まないかもだけど。なんにもしないよりましです。
美味しいものを食べたり、まだ見ぬ景色をみたり、スカイダイビングやゲームとかやらずに諦めていたことや、興味がないと思っていたこと、まだ体験したことがないことに熱中できることがあるかもしれません。

怖いからしない、出来ないからしない、ではなく、するにはどうしたら?と考えていけばいいのです。お金がないなら、①働く②借りる③クラウドで支援してもらう④行政の支援を受けるなどいろいろあります。勇気がでないなら第三者に介入してもらう方法もあります。弁護士はちょっとと思うのなら、レンタルおじさんみたいなサービスでついてきてもらって勇気をもらうとかね!

やり方はいっぱいあるんです。知らないだけで。ネットで調べたらいいのです。これを読めてるのだから、ネット環境はあるんでしょう?知恵をもとめたらいいんです。

それなのに人はできない理由を考えて、それで自分に言い訳して、もうほかに選択肢がないのだと自分に言い聞かせて諦める理由にするのです。
本当の本当は諦めきれずにいつまでもずっと引きずっているくせに、仕方がないというのです。

できない理由をたった一歩進めて、どうしたらできるようになるのか、を考えるだけでそれはとても有意義なものに変わります。

いじめられていて学校に行きたくない、と思うのなら、学校に行かずに勉強をする方法を探せばいいのです。学校に行かなくても友達を作る方法だっていくらでもあります。いじめっ子に復讐したいと思うのなら、民事事件でも刑事事件でも訴えたらいいのです。今ならネット上で助けを求めればたくさんの人が知恵を貸してくれるでしょう。
そうやって本当はやりたいけどできないことをやればいいのです。

安易に死にたいと願っても、実際に死のうとするのはとても勇気が必要です。手足はとても冷たくなって、冷や汗がでてきて、そうしてとても悲しい気持ちになります。もちろん恐怖もわいてきますし、いろんな気持ちが沸き上がって涙が溢れてくることでしょう。
そういう状態の時はまだ死ぬときではないのです。

本当に死を受け入れたとき、人はとても穏やかです。
ああ、しぬんだな、と他人事のように客観的にみることができるほど、心は穏やかになるのです。
そうしてそれは自分の人生を生ききった人が死を恐れずに旅立つことができるのだと思います。

人は例え双子だとしても、生まれるときはひとりぼっちで何も持たずに生まれてきます。そうしてへその緒を切られた瞬間から、産声をあげなければ死んでしまう恐怖と戦い、死にたくないと願い、必死に全力で産声をあげてそうしてみんな始めて生きることができるのです。

誰しも生まれた瞬間に死の恐怖と戦ったのです。そうしてその記憶がある人も無い人も全力で生きようとした結果、今があるのです。
その今が、辛い日々の人もいるでしょう。苦しい日々の人もいるでしょう。
そういう日々のなかでいったい誰が助けてくれるのかもわからずにただ耐え続けるしかないように感じている人もいるでしょう。

だからこそ、視野が狭くなって誰に助けを求めたら良いのかもわからずに、耐えきれなくなって死にたいと願うのだと思いますが、そういった状態の死にたいは生きたいの裏返しです。
視野を広げるために必要なことは生きるとか死ぬとかそういったテーマから離れること。

自分の本当の願いに、できるとかできないとかではなく、向き合うこと。
自分の願いがでてきて、じぶん一人で叶えることができなければ、助けてくれるひとを探すこと。どうやって?
市役所などの行政の助けが必要な人も、カウンセリングや医療的な助けが必要な人も、ネット上で誰かの優しさや知識が必要な人もいるでしょう。
人によって必要なものは違いますが、そういった人たちに適切な必要なものが渡せるように、私は占い師として自分の知識を伝えることもあります。

それは時に占いではないかもしれません。だって悩みにたいしての答えが市役所の福祉課に行きなさいとか、そんなのは占いではなくてただの知識ですから。でもそれが必要な人がいて、そうしてそれで前を向ける人がいたら別に占いでカードがでていますとか、天使がそういっていますとかそういう必要があるとは思えません。それでその人が前を向けるのなら良いですが。

もうやりたいことはなにもない、思い残すこともなにもない、もしあなたがそう思うのなら、寿命が来るまで自分のために誰かのありがとうをひとつでも多くもらうために生きたらいいのです。もう誰かのために生きたくないと思うのなら自分のために生きたらいいのです。

そうしてなりふり構わず生きていたら、やっぱりあっという間に寿命が来るものです。今まで生きてきた時間以上に生きなくてはいけないのかと絶望することはありません。嫌なことは嫌だ、やりたいことはやりたいと口にすればいいのです。口にしなくても実行すればいいのです。
それがあなたの人生を生きるということです。

誰かが反対するとか、嫌な顔をするとか、そうやって周囲に気を遣って生きてきたから生きにくいと感じているのなら、そんなのは無視したらいいのです。あなたの我慢を周囲は無視してきたのですから、あなたが無視してもお互い様です。やりたいことをやらせてくれないのなら、そんなところは立ち去って自立してじぶんの力でやる方法を見つければいいのです。

ある日突然、白馬に乗った王子さまが現れてあなたを幸せにしてくれる、何てことはありません。今はツインレイなどと言うような言い方をする人もいますが、魂の片割れ?魂は割れたりしません。それだけで完璧で完全な存在なのになぜ割れて不完全になる必要があるのでしょう?
白馬に乗った王子さまがツインレイとかツインソウルとか言い方が変わっているだけでその考えの根本は他力本願です。

この世界の魂の目的はひとつです。神との融合、じぶんが神であることを思い出す、つまり悟るということです。ではあなたにとって神様のイメージはどんなものですか?きっとこの世界をつくったなんでも叶えてくれる不思議で偉大な存在だと思うでしょう。
そうしてそれはあなたでもあるのですが、そこの事をあなたは忘れています。そうして何度も生まれ変わってその事を思い出すまで人生という経験を積んで学んでいくのです。

だから今あなたが苦しんでいることにも本当は意味があります。そうしてそれはどんなに考えても今はわからないことです。何年もたって、私の場合はなん十年もたって過去を振り返ってやっとその意味がわかることもあります。私はただがむしゃらに向き合って乗り越えてきました。私ができたのだから本当は誰でもできることですが、大抵の人が向き合うことから逃げてしまうことも知っています。

逃げても現実から逃げられるわけではありません。
自分を幸せにできるのは自分しかいませんし、自分を不幸にするのもまた自分の考え方次第です。
そうやってもがいて、あがいて、傷だらけになっても進んできた人だけが本当の意味での幸せを手にできるのだと思います。

だから諦めずに、自分のために生きてください。周囲は好き勝手言います。
あなたのために言っているの、あなたはこっちの方がいい、こうしないと失敗する、こうしたらできるからやってごらん、
善意のふりをして好きに言いますが、失敗したらあなたの努力が足りなかったとあなたを責めるだけで責任を取ってはくれません。
そのくせ、成功したら、私のアドバイスのお陰だとあなたの努力を無視して自分の手柄のように言うのです。

だったら自分の人生なのですから、自分のために自分のしたいように生きた方が後悔も少なく生きていけるのです。成功も失敗の自分のせいだから味わうことができるものがあります。
誰かに決めてもらうのは自分で責任を負う必要がないと思っているのなら間違いです。
他人に委ねるという決断をしたのはあなたですから、結局は失敗しても責任を負うのはあなたですし、成功したときの手柄は相手に取られてしまうのですから、あなたにとっては失敗したときのリスク意外になにもないのです。

自分で生きるということは、自分で責任を取ることです。そのためには自分で助けを求め、自分で知識を集め、自分で努力して、自分で勇気をもって、そうやって進んだとき始めて、自分らしく生きたといえるのです。

そうやって生きれないと思うのなら、そうやって生きれる環境に逃げるのも良いでしょう。どうしたらいいのかわからないとき、私のように占いというカテゴリーで相談に乗る人もいますし、ボランティアや、福祉というカテゴリーで相談に乗る人もいますし、カウンセリングやセラピストなど医療に近いカテゴリーで相談に乗る人もいますし、その他にもまだいくつもあります。

死について考えるということは生について考えることと同じです。
生について考えることは死について考えることと同じです。

だからこそ、あなたはどんな風に生きて、どんな人生を歩み、どんな風に死を迎えたいと思いますか?
自分らしく、自分の望む通りに生きるために必要なのは勇気と自立です。
そのためには自分の人生の責任を自分で負う覚悟が必要です。
あなたが寿命で死を迎えるとき、
ああ、私に生まれて良かった
とおもえるような、そんな人生を歩むことを願っています。

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