日記(2023/01/31)

人間は絶滅するのが正しいと、石碑に書いてあるのを読んだことがある。友達ができたら、絶滅ができるように固く手を繋いで 何をしたって離れないくらい固く手を繋いで、ごはんなんか食べるのやめて、2人で選んだかわいいリボンの右端と左端を持ちながら、それをどこに結ぶこともできずに、一緒にゆるやかに絶滅をしていくのがほんとうの幸せなんだって ずっと前に読んだから、ずっと前から知っている。

太陽に目を細めるその瞬間の落胆。太陽に目を細める生き物になんかなりたくなかったのに
ゆっくりと目を焼く努力を続けている 誰にも気づかれていないけれど続けている

ひとと関わっていると刺されたような感覚になることがある。私が一世一代の恋でもしなければ出来ないようなことを平気でやってのけるひとがいて、平気で言ってのけるひとがいて、それでいて平気に生きているひとが沢山いる。それを、愛おしい、とも思うし、許せない、とも思う。《生きていくことは結局のところ》 と 生まれた瞬間そこまで綴った手記の、続きが書けないまま19年が経っている。季節に例えるならば春、みたいな人生が、終わろうとしているのがわかる。自分が、季節に例えるならば春、みたいな人生を、終わらせようとしていることがわかる。

弁明の余地があると思いながら生きていく、っていうのは駄目。いつでも、永遠の遺恨を残す可能性の存在することが、喜ばしい事実であると思いながらじゃないと、生きていかれない、とここ最近思う。
弁明の余地はないけれどそれでも、それでも私と関わってください、そういう気持ちでひとと言葉を交わすとき 不当、ほんと不当なくらい世界がきらきらして見えて そのきらめきの激しさに、ひとりになったあと幸せで涙が出てしまうことすらあり、ひとと関わる、とはこういうことなんだな と思う。思うだけで口には出さない。何故なら、弁明の余地がないのである……

1月が終わった。大学が春休みに入るのだけれど、私がこういう生き物でなかったとしたら、この春休み期間は粘性の低い液体とかになっておいて、夏が訪れたあたりでまた人間の形に戻るのに
どうして春をひとりで迎えなければならないんでしょう? ああわたしたちが、春をみんなで迎えることのできる時代が訪れるまで100年かかるらしい! 怖いけれど、人間のうちしなやかに液体に成れるのは感情だけだ ぐねぐねした身体で生きていくしかないのだ

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