日記(2023/06/20)

最近、王冠を外される幻、幻というかかつて見た光景のフラッシュバック、によく見舞われる。友だちと会話をしている最中に突然王冠を外される。詩を書いていてとつぜん王冠を外される。挨拶をしようとして、エレベーターから降りようとして、昔もらった手紙を読み返そうとその封筒を開こうとして、陽がきれいな日だから外に出ようとして 王冠を外されて、突然それができなくなる、見えない手が私の頭に乗っている絢爛な装飾が施された重たい王冠を外してくる、そのとき ふっ、と頭が軽くなって、王冠は私の頭にずっとなじんでいたのだから、まず王冠をしていたってことを忘れてしまっていて思い出して、つぎにそれがいま奪われたんだってわかって、消えてしまいたいような気持ちになるのである。本当にさみしくてたまらない気持ちになるから勘弁してほしい。(おかしいことだって気がついてはいるんです、そもそも幻だって気がついている、だって私は王だったことなんてなくて 私が王であるはずなくて 私の国が滅びてしまったのは 私のせいで 私を滅ぼしているのは 私で。)

20歳になったので お恥ずかしながら、耐えきれないくらい辛いときにはお酒を飲んでしまったりするのだけれど 土曜日まっすぐ歩けないくらいに酔って、そのとき綴った文章を見返してみたら、その週あった嬉しいことを羅列した文の中に4回も「申し訳なかった」というフレーズがあって、ちょっと笑ったあと、ぼんやり暗い気持ちになった

いま目の前の人のことがとても嫌いで、じぶんがその人のことを嫌いであることがすごく大好きなので嬉しい、という感覚がある(そう感じる人が一定数いる)。 自覚しないうちは単に好きと思っているだけだから、自覚した途端とつぜん虹に色が増えるみたいに その人と自分との関係がすてきにきらめき始めて、そういう人とは長く一緒にはいられないので(なぜなら嫌いだから)、すごく悲しくなる 生きているとこういう悲しくなり方ができるってこと、大好きで嬉しい。

毎日を過ごしていると、平然と、苦心して作り上げた砂の城 みたいなものを壊されまくる という事実が辛かった頃があったんですが、最近は、砂の城を苦心して作り上げるなんてできないということ、つまり本当に住んで一生そこで暮らしてくつもりなら砂浜じゃないとこでお金稼いでお金払って城を建てればいいこと、そうして私はそれを行える能力がないってこと に気がついてから辛くなくなってしまって そう 城に住むことを諦めてしまって、これで良かったのか結論は出ていないんですが、辛くないから考える必要もないので 最近はなにも分からないまま、砂浜で潮の満ち干きを見てぼんやりしている

そのとき抱いた感情とかもらった言葉とか そういう記憶のなかにあるとすぐ変質してしまうもの、怖いから書き留めておくようにしていたのだけれど、そういうことをしないひとって世の中には多分たくさんいるわけで そう考えたとき、私がしていることって、ズルというか、ルール違反というか 恥ずべき行為なのかも と、ふと思った 世界、からもらうものならまだしも 人からもらったものを詩にしてしまったりすることって、なにか取り返しのつかない罪であるのかもしれない。最近こういう、出口が減っていく感覚によく見舞われている。いえ出口が減るというよりかは、そこを剥がしたら出口があると信じていた壁紙を、うまく剥がせるようになってしまって、剥がしたら。その向こう側に出口なんてないと知ってしまう が近いかもしれない

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