2023/8/5 普通の話

今日は6:30に起きた。
もうとにかくウーバーだ。納税のためにウーバーである。悲しい!

7時からウーバーで走り始める。7時にやっているお店はあるのかと気になる方もいるだろう。朝は主にマクドナルドか吉野家が営業している。加えて、喫茶店系のチェーンや個人店が営業している。

さすがに昼時、夕食時と比べれば注文は少ないのだが、1時間に3件ちかくは運べるのでやっておいて損はない。

土曜日の7時ころは通勤ラッシュも発生していないので道路がすいているのも良い。すいすいである。すいている道を見れば、地方からやってきている車が多いことに気付いた。観光などで来ているのであろう。またトラックなどの輸送車も地方のナンバーが多い。東京には休日の早朝に到着するような旅程の方が輸送もスムーズであろう。
こういった交通事情も垣間見えていいウーバーであった。ただ、暑い。

なんとか10件を終えて10:30頃に帰宅した。すぐさま洗濯機を回して、その間に風呂に入り、支度をする。洗濯物を干して、勢いよく出発した。今日は東洋館で漫才大行進の当番がある。働きもんである。
11:30から当番を始めた。今日は、なにわプラッチックのカツノリさんと我々、爆弾世紀末の二人の計3人で担当する。

今日の当番は特にこれと言った事件も起きていない。というより起きていないことにしたい気持ちが強いので、そのままにする。
軽く暴れてくれる人もたくさんいたが、まあいいやという感じだ。

当番を終えて、17時になる。ここから、今度はまた母の友達の息子さんとのお酒の席である。
今日はうちの母と、件の息子さんとその息子さんのお母さんが東洋館に来ていた。水口(浅草の食堂)で食事をした。その後、300円中華(こちらも浅草の名店)に行った。すでにお腹は一杯だったのでこちらでは何も食べなかった。

とても正直な話をすれば、思い出話ばかりであるというところが私としてはなんとも言えない気持ちになる。思い出話をしていて、こうであったああであったと話をして、現在はこうだと話す。ちょくちょくと私なりの考えを伝えたのだが、意見はいらないといった空気が漂う。そんな会話に果たして意味があるのだろうか。
いや、コミュニケーションをとるということには常に、連帯感、結束感を生む効果、意味が存在することはわかる。しかしそれだけの意義しかなく、それ以外が存在していない。

気づけば私も変な人間になってしまっているようだ。芸人さんと接するなかで、思い出話になっても何か笑いが起きたり、そこから考えられることを話したりできなければいけない、と思ってしまう。でも、一般社会においてそんなことは必要ないのだ。
一般社会において会話とは「こうだったねえ」「懐かしいねえ」これの繰り返しで良いのだ。

もしこれを読んでいる方の中で、お笑いを仕事にしている方がいれば、あらためて普通の社会に生きている人達と会話してみていただきたい。
私は数年帰省せずにお笑い空間に肩まで浸っていたことでおかしくなってしまっていたようだ。会話と言えば、漫才はこうだ、ああだなんてことばかりで時には辛辣なことを他者に言ったりする。
こんなもんは世の中では会話とは言わない。ただの削りあいなのである。
自身がいつの間にか変なことになっていることに気が付けるはずだ。

帰りにバッティングセンターに行った。昼に素振りをした分、実際にボールを飛ばしておこうと思ったのだが、とんでもなく人であふれかえっており、一回だけしかできなかった。
休日の浅草、朝はウーバー、夜はバッティングセンターで町の様子をうかがうことができた。そんな一日であった。
あまりに眠たかったので0時前には眠ってしまった。

今日面白いと思ったことは「田舎の家族と会話すれば、自分が変になっていることに気づく」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。