2024/1/19 きみは最後まで読めるだろうか。スピリチュアル

今日は9:30頃に起きた。朝が早いのは良いことである。
日記を書きながら、録画していた番組をいろいろと見た。私は子供のころからそうなのだが、本は買って満足、録画は録って満足。そういったことをしてしまう。今日見た番組も2023年の年末の番組である。録画についてはハードディスクの容量が少ないのでなんだかんだ2か月は持ち越さないようにしている。あとは、私がマセキに入ってからいただいたテレビに出た時の番組が蓄積されている。願わくば、私が出演した番組だけでハードディスがいっぱいになる、そんな嬉しい悲鳴をあげさせてもらいたいものだ(誰に言ってるの?)。

そういえば、この日記で多用する、( )をつけてそのなかでツッコミをするという手法。これの源流は大学の卒業論文で身に着けた手法である。私の所属していた学部学科は卒業論文の審査が厳しいことでなかなか有名であった。社会科系の先生が揃っていることもあり、言葉の使い方や文法上の間違いにはとても厳しかった。また、感覚で書いてしまう文章には厳しく赤ペンが入り、データの有無やその言葉にふさわしい内容なのかを厳しく問われた。
先生がつけてくれた赤ペンはだいたい、この( )内に入るようなことを書かれていた。まさにツッコミが入るということだ。

例えば、「○○することが好ましいと思われる」と書いた際には赤線が引かれて「なぜ?」とか「どうして?」ということが書かれる。まさにツッコミである。それが好ましいとあなたが思ってしまうのは仕方ないとして、それについての論拠が必要だよということだ。
さらに例えれば「一般的に男性と女性の数は、出生時点で男性の数の方が多いと言われる。」というのは赤ペンが入る。なんとなくの知識で男性の方が生まれる数が多いという知識がある。これでは「なぜ?」と赤ペンが入ってしまう。正しく表現するならば、
「男性は女性よりも出生数が多い⑴」として、巻末の参考文系欄に「⑴総務省統計局 (2010年) 第3章 男女、年齢別統計」という書き方をしなければいけない。一言書くだけで、データを基に発言しなければいけない。
これはまさに言葉の重さを実感し、それを実践していきたいという私の感情で、大学教育のたまものである。一方で、お笑いの世界、エンタテインメントにおいては肩肘をはった科学的な文章よりも、いわゆる感情論が好まれる傾向にある。それはエンタテインメントがそもそも感情をたかぶらせるものであり、科学を抜いた軽いものであるからだ。
どちらが良い悪いというものではないが、科学を基にした自分の感情というのが大事だと考えている。
お笑いを見る中でも言葉の選び方は厳しく見てしまう癖がある。漫才やコントの中で「めちゃくちゃ」「ちょっと」「まあ」という言葉が多用されるネタはムムムという顔をしてしまう。
漫才、コントは表現の技法である。その作品の登場人物を自分に憑依させて演じるものだ。だから、その憑依させる存在がそれが口癖であるならばそれが口からついて出ることは何も問題がない。しかし、それが憑依させた人格とは別に、ネタを思い出すためになんとなく、憑依される自分自身の言葉であるならば、なるべく無くしていった方が作品としての完成度が上がることだろうと思う。あらためて、メディアで活躍される芸人さんのネタを見てみよう。我々一般人と比べて「めちゃくちゃ」「ちょっと」といった言葉は効果的にしか使用していない。その言葉がそこにあるべき理由がちゃんと説明できるときにしか、このような不確定で主観的な言葉は選ばれないのだ。

また変なことを書いてしまったので日記に戻る。こういっただれも興味がないことを書くときは最後の方にうまみがあるパターンだ。先にこうやって変なことを書いて生半可な読者を蹴散らす手法だ。ここまで読んでいる人は選ばれた読者なのだと誇っていいが、こんなもん読んでいることを恥じなければいけない側面もある。

録画の番組を見て、日記も書き終わったところでやたらと眠たくなってしまった。13時ころにすやすやと眠ってしまった。

気づけばライブ会場の楽屋にいた。どこのライブ会場だろう。そして今日はライブの予定があったっけかと不思議に思う。今日は1/19のはずで、ライブの予定はなかった。
恐らくは漫才をやるのだろう。田川くんがいたので聞いてみた。「今日はライブがある日だっけ?」すると彼は「2/2だよ。ライブだよ。」という。
確かにスケジュールに2/2にライブは入っている。さっきまで1/19のお昼だったはずだ。当然、今日披露するネタを用意できていないし、とうぜん練習もできていない。まずいな。
とりあえずは着替えながら、さっきまで1/19であったことをしゃべっていた。楽屋にふわっとカントリーズのお二人がいた。ああこのライブはカントリーズさんも出るのだな。まてよ、えざおさんは昨年亡くなったはずだ。
私はえざおさんに「去年死んだんじゃないですか」と聞いた。えざおさんは「おい勝手に殺すなよ」とニヤニヤしていた。あら、勘違いだったっけか。確かに鼻の、向かって左に大きなほくろがあったので、えざおさんだと思う。
気づけば町を一望できる高台のようなところにいた。朝霧のように町にはもやがかかっていた。朝日のような柔らかい光が町を照らしている。なんと不思議な景色だ。

そう思ったときに目が覚めた。目が覚めた瞬間に、えざおさんの姿は夢だったのだと気付いた。そういえば、今日はえざおさんの追悼ライブが行われる日だ。そんな日であるから、えざおさんもちょっと様子を見に来てくれたのだなと思った。私はそのライブには出ないのだが。
ライブの開始前の時間だから、うちにちょっと寄ってくれたのかもしれない。これについてはデータも何もないことだが、エンタテインメントなんてそんなもんだろう。そう思っちゃったんだから、そういうことにしておこう。
なんだかやたらと眠たかったのはえざおさんが私に会うために無理やり寝させたのだろう。

そんなことを考えて時計を見ると15:40だ。あ、まずい。今日は15:30からめろんぱん稲倉さんのネタ作り会がある。ラインを見ればすでに稲倉さんは西日暮里ガストに到着しているようだった。ああまずいまずい。稲倉さんへは今起きたことを伝えて、急いで支度してガストに向かった。
普段から寝坊、遅刻をしない私がこのような失態を犯してしまったのはやはり何か因果を感じるものがある。

16時過ぎにガストに着いた。稲倉さんが着席している。挨拶もそこそこに、謝罪もそこそこにネタの話を始める。あいかわらずアイディアがない状況だ。これまで稲倉さんのネタを手助けしてきた私だが(いや、ほとんど作っている!)今の作り方には限界が来ていると感じていた。新しい角度をああでもないこうでもないと話し合う。話し合うと言っても実際には思いついたことを口に出して、連想ゲームのようにやってみる。
すると、これはなかなかいいんじゃないかというものが一つ、二つ浮かび上がった。採用していただいた。来月の事務所ライブで挑戦してもらうことになったので、楽しみにしていただきたい。願わくばチケットの売り上げは私の方に振り込んでもらいたいものだ。完全無料でやっている私はお人よしすぎやしないだろうか。

今日は早めに20時頃に会を終えて帰宅する。なんだか風もよわく、寒さが少し緩和された感がある(データなし)。明日、明後日と土日は天気が荒れるようだ。ということはウーバーをやるチャンスであるが、来週火曜にせまったネタ見せに向けたネタ作りも大変である。
現在、午前1時を少し過ぎたくらい。寝させてもらおう。さっき眠ったような気がするが、これもまた客観的事実の無いものである。私が嘘をついている可能性もある。信じるか信じないかはあなた次第だ。

よーし寝るぞ!寝るったら寝る!

これはドリフの修学旅行のコントだったかで いかりや長介さんが何度も言っていた言葉である。

今日面白いと思ったことは「こういったことってあるんですねえ。スピリチュアルなことは身に起こったら信じざるを得ない。」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。