2023/5/11 I have a dream.

今日は起きたら12時だったが、思い切って13時まで寝た。
寝るのが一番いいな。寝ている間は何も考えなくてもいい。変な夢を見て嫌な気持ちになることはあるけれど、嫌な気持ちになるのは起きてからだから、ずっと寝ていることができればそれは本当に素敵なことなんだろうなと思う。

さっそく詩的な文章から入ったが、今日はなんだか言葉の不思議と向き合った一日だったような気がする。
なんだか自分の考える文章や言葉が全部何の意味もないような気がする一日だった気がする。

起きてから、明日のライブのために台本二本を見直してみた。何の意味もない言葉の連続だ。いろんな単語をいろんな接続詞でつないでいるだけで面白いものとは思えない。
なんだかお客さんは笑ってくれるのだけど、果たしてこれは正解なのか。自分の面白いと思うことが本当にお客さんの時間とお金をもらって、笑ってもらえるほど価値があるものなのかと考える。ネタを作るとそれがずっと自分を追いかけてくる。だからできるだけ自分を納得させられるだけ、今の自分にできる一番良い状態のネタにしておきたい。
どれだけ考えても不完全なものな気がしてずっと考えてみる。

おおよそ今できるだけの状態にした気がする。どれだけ自分の全力を出したところで笑いが取れないときは取れないし、ダメ出しではめちゃくちゃ言われることがある。しかしダメ出しで面白いからこの感じで良いと言われると今度は、いよいよ見放されたのかと心配になる。どうしようもない。
この環境で精神がおかしくならないほうが異常である。

そもそもお笑い芸人なんて資格も何もいらない仕事で、なんか面白いこと言いますよっていうだけでお金をもらおうとするアコギな商売だ。
普通の感覚なら、すぐに自分の罪の意識に押しつぶされる。なんだかんだ文句を言いながらも5年もやっている私は当たり無しのくじを少ないお小遣いを握った子供に引かせるアコギなテキヤの仲間と言われても仕方がない。

5年もアコギなことをしているとその内、法を踏み外してお縄にかかるものだが、残念ながら日本国憲法では思想を取り締まることはできず、どこまでも考え続けることができるものだから質が悪い。

いろいろ考えてみた。変になりそうなので軽薄な音楽を聴いてみることで自分のネタがあまりに力が入りすぎていると自分に言い聞かせてみる。
今は小沢健二の「今夜はブギー・バック」を聞いてみることで自分を俯瞰に見ている。

‘‘これよくない よくないこれ よくなくなくなくなくセイイエー‘‘である。

なんとも軽薄であろうか。こんな言葉を曲に乗せて歌うことで莫大な富を得る歌手も不思議な仕事だ。

さて、今日も憂鬱な言葉を羅列して何か悩んでいるようなふりをしてみた。こういう言葉ばかりを日記として書いていると、まさしく言霊といえて、自分が言葉に飲み込まれて、思っているから文章を書いているのか書いているからその感情が自分の今の感情を乗っ取っているのかがわからなくなっていく。

今日は18:50から町屋で笑組のゆたさんの食事会だ。はやぶさ丸(かつては幸せの家というコンビ名だった)の笠生くん(以下、漢字の変換が面倒なのでK氏とする)との3人だ。

私は家を出て、レンタルサイクルで向かうことにした。町屋は電車で行こうとするとたくさんの鉄道会社を乗り継ぐので電車賃が高くなる。レンタサイクルで130円を払ったほうがよほど時間もお金もかからない。
自転車に乗りながら、吉田拓郎、森進一を聞いた。やはり良いものだ。

少し道を間違えたりしながら18:47に集合場所に来た。K氏はいたがゆたさんはまだ来ていなかった。
18:50を少し過ぎると遠くの踏切でゆたさんが手招きしている。合流するとゆたさんは「18:50に集合といったかしら。18:50に家を出ればいいと思っていた。」とおっしゃった。またまた~である。本当は先に二人を合流させておいて、ある程度会話を済ませて場を和ませておこうという計算ではないかと私は予想している。

その後、まずは全員分のたばこを買っていただいた。このたばこを買ってもらうという行為がなんとも不思議なことだと思った。
たばこほど今の日本で独善的なものはないと私は思っている。

今の日本は人のために何かをするという行為が尊いことであり、自分のために人を犠牲にする行為は罰せられる国だ。そんな中で、においや煙、医療を犠牲にしてまでも一時的な快楽を得る行為が喫煙である。罰せられてもおかしくない行為である。そのタバコを買っていただく。うーん。なんとも現代では経験できないことである。
これまでタバコを買ってくれた人物はとんとん拍子の渡辺結婚式さん以来の2人目だ。芸人の世界とはなんとも浮世離れしている。

町屋の中華料理屋に入った。すぐ隣が日高屋だったが、日高屋よりもワンランクもツーランクも上の中華料理屋だ。さすがは寄席漫才では右に出る者がいないと言われる方だ。
日高屋なんて若手がホッピーのお替り焼酎をお冷で割って節約して飲むような店である。日高屋や福しん、餃子の満州なんてもってのほかである。

食事会ではゆたさんが次から次へと、芸能界の今昔を話してくださった。言葉でもってタイムトラベルをしているようだった。
ゆたさんのトークは言葉を選ばずに言えば、お上手である。我々ラジオマニアの間ではゆたさんの名前は知られたものだ。いろいろとあったがラジオ界では伊集院光さんか、ゆたさんか、と言われた時代があった。

そのゆたさんが心置きなく喋っている姿を見れば、私はお笑い芸人を志す人間から、1ラジオリスナーになってしまう。

いろいろと聞いたが、内容はやはりショナイである。決して終始聞き流していたから覚えていないということではない。

話を面白く聞いたが、面白い話というのはやはり実体験をもって本当に思ったことを話しているから面白いのだろうなと思った。

ちょうどキング牧師の「I have a dream.」と訴えた演説が我々の心を打ち続けるのと同じことだと思う。心にもないこと、自分の体験のないことをそれっぽく話している人の話は面白くない。そう思うのは私だけだろうか。
虚勢を張った文章は私の好みではない。虚勢を張るということが一つの面白みをもった態度だと考えている人が虚勢を張る分には面白いと思う。
自分でも虚勢と自覚できずに、自己防衛的に虚勢が発露してしまっている場合は面白いものではなく、痛々しいものになる。
つまり、私の日記は常に痛々しいのである。

自分が体験して、自分が楽しいと思っている、人に伝えたいと思っていることは人の心を打つものだと思っている。そうであってほしいと思っている。
ひとまず、ゆたさんはキング牧師なのである。

今日面白いと思ったことは「途中まで書いて、起きてから仕上げたが、夜中の文章はひどいからやめたほうがいい」

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こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。